そっと隠して、抱く色。

懐かしい人が、
いつも、自分のことを大切に思って、
見守っていてくれている…。

心配性で臆病な私は、その気配に、
何度なく深い安心感を与えられてきた。

裏葉色(うらはいろ)は、渋くくすんだ薄い緑色。
葉の表側のように、濃い緑色ではないけれど、
控えめで優しい、裏側の色として、
平安時代から愛されてきた色だ。

かねてから闘病中であった、
親しい方が亡くなった。
六十代後半だった。
いつも穏やかで優しく、
誠実なお人柄も尊敬していた。

葬儀場には、
思い出の写真や愛用品が置かれていた。
十年ほど前の、キャンプ場での写真。
奥様と、三人の子供たちに囲まれて、
渓流釣りをし、釣果を手にして、
微笑まれている。

また会えると思っていた笑顔、
その健やかなシーンを、
思いがけない形で見ることになり、
胸に痛みが走った。

いつも明るいご家族の
悲しみにくれるご様子にも、
涙が止まらなかった。

告別式が終わり、
ロビーに移動するときに、
「ナナフシモドキだ!」
と、声が聞こえた。

故人のご家族が、
斎場の大きな窓に指をあてて
「キャンプに行ったとき、パパが教えてくれたね」
「細くて、背が高くて、パパに似てる」
「パパなのかも」
そんな会話が交わされていた。

あたりにいた私たちもいっしょに
ひととき笑顔になって、
ナナフシモドキを見つめていた。

足や頭をユーモラスに動かして、
本当に挨拶でもされているようで、
笑いながら、涙がにじんだ。

大切な人を亡くしたとき、
悲しみの底に突き落とされる。
どうしていいのか、わからなくなる。

それでも、大切な人が遺してくれた言葉や、
笑顔が、沈む心に灯りを点し、慰めを与えてくれる。

「だいじょうぶ、何とかなる。あわてるな」。
家族が困った時の、故人のお言葉だったという。

力強い言葉、やさしさ、ぬくもり。
亡くなった人の思い出は、
なにげない暮らしの中に、
立ち現れて、
その都度、悲しみも蘇る。

悲しみはずっと消えない。
慣れていくしかない。

けれど、
その悲しみがどんなに深くても、
時は止まらない。
知らん顔をして、
四季折々の風が吹く。

だから、泣いてばかりもいられない。
泣きそうな自分に、
思いと違う仮面を当てながら、
のり切らなければならない時もある。

そうして、
目の前のことに追われていくうちに、
つらい思いもゆっくりと均されていく。

ただ、心の裏側には、
正直な気持ちがそのままにある。
ふとしたきっかけで
涙が出てくることもある。
でもそれは、弱いということではないと思う。

太陽の光をいっぱいに浴びて、
輝くような葉の美しさ。
その裏側にひっそりと隠し持つ、
悲しみ、思い出、やりきれなさ。

裏葉色は、そんな人の心の持つ
やわらかで、傷つきやすい
そっと扱ってあげたい想いを
映す色に思われる。

亡くなった人は、
きっと、笑いながら、
時に心配そうに、家族を
やさしく見つめ、いつも守ってくれている。

会えなくなっても、
やがて、空に、風に、
その存在を感じられるようになる。
草や虫や、雨や青空、夏の太陽の眩しさに、
思い出を見つけられる。

その気配に励まされ、
生きていく者は、
大切な人がいなくなった世界も、
ゆっくりと
力を取り戻し、前に進む。

涙のリクエストが、聴こえた日。

大阪・梅田の地下街を
スーツ姿で走っていた。
はやる気持ちに蹴り上げられて、
パンプスのヒールがはがれて飛んだ。

山藍摺(やまあいずり)は、灰色がかった青緑色。
山藍(やまあい)という染色植物を、
衣にこすりつける摺(すり)染めから生まれた色だ。

その日は、就職試験の三次面接。
一次面接落ちの連敗続きで、
やっと、三次までこぎつけた大切な日だった。
なのに、遅刻しそうで、大慌て。

なくなったヒールを探す余裕もなく、
全力疾走で面接会場に向かった。
無事に到着し、
片方の高さが違うパンプスで、
まるで透明なヒールがあるかのように
つま先立てて歩き、面接に臨んだ。

不自然さは目にも止められず、
厳しい質問が続いた。

その会社では、営業職しか求められていなかったのに、
私がその会社でやりたいのは、書く仕事。
念を押すように
「本当に営業できますか? 別の業務に就けなくてもやり通せますか?」
と訊かれ、
営業の経験を活かして、将来的には書く仕事に就きたい。
と本音を言った。

面接官は、苦笑いし、ダメだな…と言わんばかりに
下を向いて、首をふっていた。

あ、落とされるな。
と、わかった。
面接を終えた時、ヒールのないことを忘れ、
バランスを崩して、ガクッと片足が低く下がった。
何もかも、カッコ悪くて恥ずかしくて、
苦笑いして、会場を後にした。

ないものを、あるように見せるのは
くたびれる。

その後、ヒールのない靴のまま
ファストフード店の隅の席に着き、
ぼんやりしていた。
ふと、テーブルに目をやると、
「フミヤくん、22歳のお誕生日おめでとう」
と、油性ペンで書かれたメッセージ。

おそらく、当時、大人気だったアーティストの誕生日を
祝う言葉だったのだろう。

「ここには、ちゃんと愛があるなぁ」
と、思った。
本人に届かなくても、伝えたくてたまらない、
書かずにいられなかった、心の奥底から声。

熱っぽく強い、
その人の想いが確かにある。

これだ!
と、思った。

心の中にある、強くて熱いもの。
それは、目には見えなくても、
きっと、人に伝わる。

また、それがなければ、
どんなに言葉を並べても、
空虚な響きになって、
どこにも届かず、色もなく、消えてゆく…。

さて、
私が面接で語った言葉に、
その強い気持ちはあっただろうか。

連敗に次ぐ連敗で、
とにかく入社できればいい…
そう思って、面接官に気に入ってもらえる
答えばかりを探していた。

そんな薄っぺらな考えを見透かされ、
問い詰められて、本音を言ってしまったのだ。
熱意もなく、
ごまかした心の裏にある気持ちを。

用意しておくべきは、
気に入られるような言葉ではなかった。

青摺(あおずり)と言われた、
山藍の摺染めは、
色の留まりも悪く、薄く染めることしか
できなかった。
それでも、神事などには用いられ、
その色が伝承されてきたという。

はかなくも、葉のもつ色を精一杯染めようと
色を出す山藍。
いつか消えるとわかっていても、
愛される色。

卒業しても、実家には帰らずに、
自分のやりたい仕事をします。

そう両親に言って、大阪に向かう日、
未来への期待を胸いっぱいに
列車に揺られた日のことを
思い出した。

当時の私は、
自分が何色を持っているのかもわからなかった。
両親に大口をたたいてみたものの、
さて、何ができるのか。

ただ、人に会い、ことに当たって、ものを知り、
染めたり、染められたりして
過ごした日々を、生かせる仕事に就きたいと
思っていた。

あれこれ思い出すと、摺染めで
染められて行くように自分の色が見えてきた。

ずっと書くことが好きだった。
それは、淡くても消えなかった、
確かにある色、だった。

愛されるのかはわからない。
けれど、愛されたい、自分の色。

それを仕事にしたいと
決めたはずだったのに、
面接対策ばかりで
すっかり忘れていたことに気づいたのだった。

あの日、無くしたヒールは、小さな点となって
私の心に色を落としてくれた。

想いが色褪せる日には、
「お前も、ないと困る存在になってみよ!」
そんな励ましの声が、
どこか遠くから聞こえてくる。

ちぐさにもの思う、年の始まり。

今年の恵方は南南東。
初詣は、車で都内の静かな神社へ出かけた。

千草色(ちぐさいろ)は、深く渋い青緑色。

千草色は、同じ読み方の
「千種色」と表記されることもある。
千種には、
「いろいろな、さまざまな」の意味があり、
千草は、
「いろいろな種類の草」の意味を持つ。

千草はもともと「露草」の別称とも言われ、
露草の色である空色に近い藍色をさす場合がある。

人混みを避け、
お参りを終えたあと、
あたりを歩いてみた。

休日のオフィス街は、ひと気なく、
異次元に転がり込んだような
不思議な感覚になる。

色をなくしたような静けさに
心も、しんとなる。

いつものお正月休みの光景なのに、
今年は少し色合いがちがう気がした。

また、ここに人が帰ってきて
いつもの日常が戻るのだろうか
という不安な空気を感じた。

さらに、
コロナ、コロナの毎日に
心も少し疲れていて、
広い通りに人がいないと
寂しいどころか、ほっとする自分がいる。

人のいる景色を撮るのが
何より好きだったのに、
出歩くこと、人のいる景色に身を置くことが
悪いことをしているように感じられる今。

こんな未来は想像していなかった。

誰も歩いていないオフィス街は、
それでも人の気配がする。
道にも建物にも
使い込まれたものの持つ空気を放っている。
静かでも、人々の手に足に馴染んだ
いろいろな色彩があちこちに見られる。

花も咲いている。
誰も通らない横断歩道も
きちんと赤、青、黄色と
色を変えている。

千草なる色の景色は
変わらないのだ。

今は、楽しい予定も考えられないし、
新年の希望にも満ちた抱負を語るのも
少しためらわれる。

けれど、日々の中にさりげない笑いは
きっとあるし、
制限された日々の中にも
楽しみも生まれる。
生み出すこともできるはずだ。

一年の始まりに、
明るい光を探してみよう。

休みが明けたら、
さまざまな物事が始まる。

どんな中でも、風は流れ、
季節は巡り、人も動き、生活はまわっていく。

今はできないことが多くても、
安全確認して、気をつけながら
千草色の信号を注意して渡るように過ごす。

光の中にいよう。
光の中にいられれば、
そこにある色に気づくことができる。

光が見えない日には、
うつむいてもいい。
そこには、きっと、
かわいい花がこちらを見つめている。
「負けずに咲こう」と笑っている。

実りのときの色。

二ヶ月ぶりに撮りに行った。
景色が驚くほどに秋めいて、
彩り豊かになっていた。
濃く深く、鮮やかにして優しい秋の色。

仏手柑(ぶしゅかん)色は、
深く渋い緑色。
仏手柑(ぶしゅかん)とは
シトロンの一種。
調べてみると、
高知の四万十で栽培されている果実、
「ぶしゅかん」の色が
この色に近いと思った。

十月になった。
暑さの余韻があるように、
夏の名残が、まだあちこちにあると思っていた。

けれど自然は、
季節の変化を察知し、色を変えていた。
秋という字は、「実り」、
そして、大切な「とき」を意味する。

大切に育ててきた稲や果実がなる
実りの「秋(とき)」。
収穫のとき、喜びの季節だ。

外出自粛、ソーシャルディスタンス、イベント中止…
そんな世の中の動きの中でも
時が満ちたら、こんなふうに花が咲き、
稲が実り、景色が色づく。
もちろん、そこには丹精する人がいて、
日々世話をし、作業を行い、秋の姿へと導いてくれたのだ。
その尊さを、改めて感じた。

どんな時も、暦に従い、
やるべきことをやり、積み重ねていくこと。
その厳しさ、大変さを経たから
喜びの時がやってきたのだ。

秋の彩りは眩しく、美しい姿で、
そのことを教えてくれた。
振り返って、自分はこの数ヶ月、
きちんと成すべきことをやってきただろうか。
こんな時だから…と、言い訳をして
怠けてはいなかっただろうか。

その答えは自分で出さなくても、
「実り」として結果に現れる。
稲穂が重く頭を垂れているように
自分の中で積み重ねてきたものがあれば、
どっしりと肚の奥に感じられるものがあるはずだ。

景色をじっと眺めながら、
自分自身も見つめていた。
手応えは、とても頼りないものだった。

仏手柑(ぶしゅかん)色を探して
見つけた高知の「ぶしゅかん」。
その果実について調べているうちに、
五年前に高知を訪れた時のことを思い出した。

荒々しく雄大な桂浜、
可愛らしいはりまや橋、
のどかな山寺からついてきた猫…。
操作も構図もよくわからないまま、
目にするものを撮っていた。

今見ると、あぁ、せっかくの景色を…
と悔やまれ、再び訪れることができたら
どんなふうに撮るだろうかと
写真を眺めていた。

そして、「あ!」と気づいた。
カメラを変えて、たくさん撮って、
失敗を重ね、五年の月日がたった。
ささやかな前進らしきものもあり、
なにより撮ることを楽しめるようになり、
人生が豊かになった。
それは実りなのだろう。
そう思うと、喜びが胸に満ちた。

仏手柑色は、春の新緑とも違う
鮮やかにして、優しく包み込むような緑色。
雨風や厳しい暑さを越えた
花や田の実りの色を輝かせる、
ときめく色。

ときめくは「時めく」とも書き、
「よい時勢にめぐりあって栄えること」という意味を持つ。
かつての日常が戻るには、
もう少し時間がかかりそうだけれど、
いつかまた、きっと、時めく時は、やって来る。

あれから一年か…
もう五年も経ったのか…と、
思い出は、先の見えない現実から、
心を遠いところまで羽ばたかせてくれることがある。

秋を楽しもう。
また未来のどこかで、懐かしく思い出せるような
素晴らしい秋(とき)にしよう。

めぐる季節に、変わらない色。

緑に恵まれた町で育った。
海には松並木が見え、
ふりむくと木々繁る山があった。
風のぬくもりや
湿気とともに変わる緑の色合いは
季節の移ろいを教えてくれた。

太陽の光の下で、
陰影濃い夏の緑は、千歳(ちとせ)緑。
春の新緑よりも、暗く、深い緑色だ。
千歳とは、千年のこと。
千年ののちも変わらない緑という意味を表す
縁起の良い色名だ。

それほどたくさんの竹を見た記憶はないけれど、
生まれた地区は“藪ノ後”といって、
竹にちなんだ名だった。
そのあたりの人だけが知る
生家の前の通りは、竹花通りと呼ばれていた。
よそゆきの服で出かけるときは、
近所のおじさんから「お、竹花小町か?」と
声かけられたのも、くすぐったい思い出だ。

小学校に上がる前の
新しい靴を買ってもらった日。
伯母と近所の商店へ行ったところ、
足元ばかり見ていて
伯母とはぐれてしまった。
店の裏手で大泣きしていて、
顔見知りの人が家に連絡をくれたという。
店の名は「まつしまや」。
竹や松の多い町だった。

竹藪はなかったか、というと、
実は、家から少し離れたところにあった。
子供の足では、少しきつい坂道を登った
少し先に。
春の祭りの頃には近所のおじさん達が
筍を掘りに行き、
蜂に刺された、マムシがいたとか
恐ろしい話を聞かされた。
お盆に火の玉を見たという人もあり、
結局、その藪の中に足を踏み入れたことはない。

そんな生まれ育った町に、
今はなかなか帰れない。
訪れるたび、
記憶のかけらが消えていくように
変わってゆく。
けれど、あの竹林を思い出すと、
その町にいた頃の空気や匂いが
鮮明に蘇ってくる。

夏の湿気、夕立の前の不穏な空、
雨の後の土の匂い、
一つ一つが皮膚や鼻腔の奥に
残っていて、
「どこへ行こうと暮らそうと、
 お前はこの地で育ったのだ」
と、呼びかけてくる。

夏は帰省する友人の話を
聞いたり、SNSで見たりするからか、
余計にその声が聞こえてくる気がする。
帰る家もないのに、帰りたい。
これが愛着というものなのかもしれない。

千歳緑の「緑」の文字を
私はよく「えにし」の「縁」と
書き間違える。
千歳に緑のままのもの。
千歳に縁がつながるもの。
故郷の色は千歳緑で、
思い出す人たちと縁を結ぶ。

「秋扇(あきおうぎ)」という言葉がある。
涼しくなると不要になる扇子のように、
夏の盛りが過ぎて、
風を送らなくても良くなる時期のこと言う。
また、それを恋の盛りが過ぎて、
「寵(ちょう)を失った女性」に
たとえることもある。
なんと悲しく、意地悪なたとえか。

夏休みが終わって、
私に郷愁の念を起こす熱も
ゆっくりと冷めて、そろそろ扇子も不要となる。
けれど、愛着は消えず、縁が切れることはない。
千歳緑のように深く濃い想いで
つながっている。

陰暦九月の異称は「色取月(いろどりづき)」。
秋が近い。
変わらぬ緑を背景に、
色美しい季節がゆっくりとやって来る。
故郷にも、今いるこの町にも。

サビない時、サビの時。

新緑美しい五月になった。
ベランダから眺める緑も濃淡鮮やかに、
心地よい季節の到来を知らせてくれる。

山葵(わさび)色は、明るく渋い緑色。
すり下ろした、わさびの色だ。
江戸中期の頃、わさびが庶民に普及するのに
合わせて生まれた色という。

大型連休に入ったけれど、
ずっと家にいる。
本を読んだり、
ネット配信の映画を観たり。
台所の棚の整理をかねて料理したり。
ここ数年の五月の連休には考えられなかった
過ごし方だ。

自分で作る料理は飽きてくるので、
アクセントにわさびを使う。
蕎麦に、お肉に、練り物に。
はっ! と目の覚めるような
味わいが嬉しい。

わさびというと思い出すのが、
わさび漬だ。

高校生の時、お腹ぺこぺこで帰宅し、
台所の小鉢に残っていたものを
「あ! 白和えだ」と
大口でつまみ食いしたところ、
それはわさび漬。
ツーーーーーーン!
どころではなく、
鼻がちぎれ落ちそうな衝撃。
涙あふれながらも、
落ちないように鼻を押さえて悶絶した。

あの痛みと衝撃は、ちょっと忘れられなくて、
以来、わさび漬を食べていない。
とはいえ、わさびが嫌いになったわけでもなく、
毎度、涙ぐみながらも、美味しくいただいている。

それほどわさびを食べているわけではないけれど、
このところ、よく泣いている。

自宅の気安さもあって、
映画や本に感動して、
おいおい泣いているのだ。
今さらながら、
泣くのって、気持ちいいなぁ…と
思う存分泣いている。

思い切り泣くことが、感情を解放してくれ、
ウィルス不安に占領されそうな気持ちが、
幾分ラクになるような気もする。

それでも気のふさぐ時などは、
好きな音楽を、
身体を揺らしたり、時に鼻歌で
一緒に歌ったりと、
自宅ならではの楽しみ方で
たっぷり聴いて元気づけてもらっている。

楽曲の聴かせどころを「サビ」という。
語源は不詳と言うが、
この「サビ」とは、「わさび」から
生まれたという説もある。

寿司でわさび抜きを頼むとき
「サビ抜きで」と言うように、
わさびは「サビ」。
少量でも刺激的な味がするわさびに因んで、
曲の中の最もインパクトのある部分を「サビ」
と言うようになったという。

また、謡曲・語りもので、
独特の謡い口調のことを「寂(さび)」と呼ぶ。
その声帯を強く震わせて発する、
低くて渋みのある声は、
「最も盛り上がるところ」に使われ、
それが時を経て、強調する部分を
「サビ」と言われるようになったというのだ。

ツンと刺激のあるサビと、
寂しいという文字から生まれたサビ。
盛り上がりながら、
どこか、鼻の奥がツンとするような、
人に会えない寂しさを抱えた、
今の気持ちを表現しているようにも思われる。

外出自粛は、
家の中で様々な発見もさせてくれる。
ふだんはバタバタとして
忘れていたことが、
棚や引き出し、パソコンから、
ほら! と現れてくる。

せっかくだから、
鼻の奥がツンとくるような
胸の奥がキュンとなるような
そんな刺激や思い出も
久しぶりに取り出してみよう。

どんな時も、どんな日も、
二度と戻れない、かけがえのない瞬間。

「わさびは笑いながらすれ」とも言う。
ツンときて、泣かされるわさびも、
笑いながらやさしくすれば、
まろやかに美味しくなる。
多分、言葉も同じ。

尖るような気分の時こそ、
やわらかい言葉を心がけたい。

心も頭もやわらかく、
今を充実させて、
いつかまた
人生のサビの部分を
大好きな人たちと、高らかに歌おうと思う。

似ている? 似ていない?

「あのう、〇〇さんですよね?
私、△△の妻です!」
と、挑むように声かけられたことがある。
子どもの保育園の運動会のことだ。

花萌葱(はなもえぎ)色は、強く濃い緑色。
萌え出る葱(ネギ)の芽のような緑色の、
萌葱(もえぎ)色の一種だ。
青い「花色」に黄色を染め重ね、
萌葱色に近づけた色なので「花萌葱」という。

突然、話しかけてきた人は、
「△△知らないんですか?」と
もう一度訊き、はぁ…と困惑する私を
置いて、「ほらぁ、ちがうって!」
と言って去って行った。
どうやらご夫君が
かつて親しかった女友達に、
私が似ていたらしい。

平凡な顔立ちだからか、
私はよく、ひとちがいされる。
行ったこともない場所に、いたでしょう?
と、言われたり
さっき向こうで見かけたのに、なぜここにいるの?
と、怖がられたり。
でも、そのよく似た人に、
私は会ったことがない。
もしかしたら、自分も驚くほど似ていたのだろうか。
話せば気があうような、
もう一人の私のような人だったのだろうか。

思い出すのは、遠い昔、
失恋した人にそっくりな人に出会ったことだ。
友人も驚いて知らせに来てくれるほど、
よく似ていた。
一度、思い切って話してみたら、
当然のことながら、声も話し方も
おそらく性格も違っていた。
がっかりしながらも、
そうだよな別人だものな、
と、納得したことがある。

花萌葱の色も、萌葱色に似せて作られた色。
萌葱色には、また黄色味を帯びた
萌黄色という別の色もある。
「もえぎ」と同じ響きながら、
同じじゃない! と主張する、
それぞれに個性ある色なのだ。

春が近づいてきた。
毎年、やってくる春だけれど、
去年の春とはちがう。
咲く花も匂いも同じなはずなのに、
風も、人も、私自身も少しずつ異なる。
全く同じ春など、ないのだ。

巡りながら、すれ違いながら、
人も、季節も、
ちゃんと向き合い、
見つめる心を持っていないと、
春はあわあわと過ぎて行く。

似た色、似た顔、似た名前。
あぁ、知ってる…と思っていたら、
実は全然知らないものだった、
ということもある。

出会った時に、新鮮な心で
見つめてみよう。
そんなふうに思えるのも、
新年度、新学期が始まる
春ならではの愉しみだろう。

運動会で、声をかけてきた人とは、
しばらくお互いに気まずかった。
けれど、その人の、
たっちゃんという息子さんと
娘が仲良くなって、私たちも
親しく話をするようになった。

「たっちゃんのお母さん!」
と娘が駆け寄ると、両手をとって、
優しく話しかけてくれる
愛情深い人だった。

転勤でその街を去る時に
寂しくなるね、と、うっすら涙を
浮かべてくれた。

その時から、何年も経った今、
テレビで、ある女優さんを見かけるたびに
あ、たっちゃんのお母さん!
と、思い出す。
もしかしたら、その女優さんを街で
見かけたら、「お久しぶり!」と
声かけてしまいそうなほどだ。

似ていることは、
時に大切なものを思い出させてくれる。
私に似た人は、
誰かに、私を思い出させてくれているだろうか。

夏の終わりの、泡の色。

八月三十一日の日記には、
不安と焦りを思いつくまま、
書きなぐっている。
高校三年生の夏。

琅玕(ろうかん)色は、
明るく渋い緑色。
琅玕(ろうかん)とは、
宝石・翡翠(ひすい)の中でも、
とりわけ美しく半透明のもの。

父から「進学をあきらめてくれ」と言われたのが、
高校三年の春。
目の前が真っ暗になった。

進学をあきらめたくなくて、
ポーズだけでも、と部屋にこもって勉強した。
幸い、金銭的に目処がつき、
期末テストの終わる頃、
進学してもよし! となった。
ただし二年間。短大のみ。

本当は四年制大学に行きたかったけれど、
進学できるだけでも
嬉しくて嬉しくて、
うんと勉強する! と心に誓った。

が、そこでやって来た夏休み。
海が有名な観光地であるゆえに、
街全体がザワザワと浮かれ始める。
街が、人が、
夏の陽気に包まれていく。

夏期講習や塾の帰りに、
息抜きと称して友達とおしゃべりを楽しんだ。
涼しげなソーダの色は
鮮やかで澄んだ琅玕(ろうかん)色だった。

夏休みは、毎日会えない分、
友達との話も濃厚になる。
ついつい…のおしゃべりも尽きず。

今日遊んでも、明日がある。
長い休みは、心を楽しくゆるませていた。

そして、模擬テスト。
惨憺たる結果を見て、
どうしよう…と、後悔に苛まれた。

七月の終わりに、奨学金貸与の面接試験があった。
集まったのは、それまであまり話したことのない、
成績優秀な同級生たち。
待ち時間に、初めて話す彼ら彼女らは、
しっかりと将来を見据えて、
様々なことを調べ、
準備していると知り、驚いた。
とても賢く、かっこよく見えた。

一方、志望校も決まらぬまま、
模擬テストの結果に一喜一憂する自分は、
子供っぽく、愚かな人間に思えた。

美しい琅玕(ろうかん)は、
身分の証明でもあり、
決意の固さを示すものであったという。

進学してもよし! となった時の自分は、
両親が喜んでくれるような学校に行く!
そう決めていたのに。
何になりたいのか、
何になりたかったのかもわからなくなっていた。

夢は、琅玕(ろうかん)の毅然とした輝きではなく、
ソーダの泡のように淡く消えるものになっていた。

八月の終わりになると、
友人たちが、電話や手紙や立ち話で、
その夏のことを話してくれた。
それは、恋愛相談であったり、
恋が終わった報告だったり。
みんな、それぞれの夏があったんだな、と
日記に書いている。

面接で一緒になった同級生も、
恋をしていた友達も、
みんな悩みながら、夏休み前よりも
前進している気がした。

一方、私は何もなかった。
成績は上がらず、
ときめくようなこともなく、
一学期のままの自分。

そんな不甲斐なさを、
取り残されて行く焦りを、
日記に書きなぐっていた。
「みんな大人になって行く」と。

日記はその後、一ヶ月に一度となり、
受験結果は二校不合格になり、
自分の愚かさを散々思い知って、
二月で終わっている。

挫折を知って、の最後の一行。
「去年の私よりも、大人になっているのだろうか」。

大人のベテランとも言える歳になっても、
夏になると、この問いかけが胸によぎる。

その時、目に浮かぶのは、美しい琅玕(ろうかん)色。
翡翠になれなかった、ソーダの泡の色だ。

時がおしえてくれる色。

「二月の雪、三月の風、四月の雨が、美しい五月をつくる」。
新緑の頃、思い出す天気のことわざの一つだ。

英語にも似たことわざがある。
「March winds and April showers bring forth May flowers」
(三月の風と四月の驟雨が五月の花をもたらす)。

虫襖(むしあお)色は、
玉虫の羽のような暗い青みの緑色。
光の角度で玉虫のごとく、色が微妙に違って見える。

短大二年の夏に、アメリカ出身の先生の
京都にある海辺の家へ三泊四日の合宿に行った。
先生夫婦と生徒四人、古民家で英語だけの暮らし。
集まったのは、県選抜の交換留学経験のあるクールなA子、
真面目でもの静かなB子、ホームステイ帰りの陽気なC子。
観光地ではない、静かな田舎町にたどり着いたところから
英語生活はスタート。
街の人たちも、日本人なのに英語を話す私たちを
優しく迎え入れてくれた。

合宿が始まって数時間。
気軽に参加したことを後悔した。
皆、本当によく英語を話す。
とりわけA子は、流暢すぎて何を言ってるのかわからないほどだった。
それでも、和やかな雰囲気の中で、
私一人が時にジェスチャーで、四人協力し、家事や遊びを楽しんだ。

三日目、海で遊んでいると夕立が訪れた。
干していた布団が濡れると慌てて帰ると、
近所のおじさんが取り込んでいてくれた。
そのお礼に行った時、つい「ありがとうございました」と
日本語で言ってしまい、A子にひどく叱られた。
そんなに怒らなくても、とふくれたところ、
A子のこれまでの怒りが爆発。
真剣に学びに来ているのに、いつもあなたのふざけた態度が
それを邪魔する…というようなことを、一気にまくしたてた。
B子もC子も黙っていたから、同じ気持ちだったのだろう。

その日の夜、先生が突然、
「特別な場所に連れて行く」と、先頭立って歩き出した。
街灯もほとんどない街の、静かで暗い夜だった。
背の高い葦が鬱蒼と生えているところに着くと、
先生が「しーっ」と指を立てて、そーっと歩くのだ、
とジェスチャーし始めた。それは私をマネた仕草。
みんな、私の方を見てクスクス笑ってくれた。

葦の中に入ると、暗くて足元が不安定で
怖くなった。
方向も、皆の姿も見失い、
恐怖で動けなくなっていると、
ふわりふわりと
螢が舞うのが見え始めた。

幻想的な光景に感動しながら、
じっとしていると、
三人が探しに来て、手をつないでくれた。
みんなで黙って、ゆっくり前進した。
仲直りしたことをくすぐるような蛍の光に、
照れくさく、嬉しく、安心の涙も少しこぼれ、
暗くてよかったと思った。

そんな光景を思い出しのは、
富山の川沿いを歩いたからだ。
小説「螢川」の舞台となった川、街。
寒い冬のシーンから始まり、
螢舞う季節に移る中で
人や景色が変わってゆく。

同じように見えて、変化してゆく川の表情を
眺めていたいと思った。

そして小説のラストを思い出していた。
美しく妖しい螢の光。
襲いかかるような未来への不安。
最後の一行を読んだ後も、ページをめくり、
次のシーンを探し求めた。

あの時の三人も、今はどんなシーンの中に
いるのだろう。
風を受け、雨に打たれ、その経験を力にして、
美しい五月のような「今」を迎えているだろうか。

いいことも悪いことも、玉虫の羽のように
見方によって、色合いが変わる。

あの時、先生は、暗闇の中、
小さな光を一緒に見つけることで
互いの存在がどれほどありがたく嬉しいものなのかを
教えてくれたのだ。
それは、明るい昼間ではわからなかったことなのかもしれない。

人は言葉でつながり、言葉で別れることもある。
言葉はなくても、つながる瞬間もある。

その時には気づけなかったことを、
あの日から遠い時間、遠い街で、教わった。

川面のきらめきは螢のように、
そして五月の木々は虫襖色に輝いていた。

多分、蒼い。

蒼色(そうしょく)は、
少し暗い青緑色。

蒼(そう)には、
「あおい」という意味もあるが、
「草木が茂る」という意味もある。
生い茂る草木の様子を表すときに、
「鬱蒼(うっそう)」と表現するように、
和の色では「蒼色」は緑系の色とされてきた。

夏の終わりに、両国国技館まで
大相撲を観に行った。
毎場所、テレビ観戦を楽しみにしていて
いつかは国技館で…と
強く願っていた観戦が実現したのだ。

しかと見届けたいと、
家にある一番よく見える双眼鏡を用意した。
緑色のその双眼鏡を見た友人が
「房と同じ色だ」と言う。

房?
と、きょとんとする私に、
友人が“房”について説明してくれた。

土俵の上に吊屋根があり、
その四隅、東西南北に
房が下げられている。
房は各方位を司る「四神」を表す。

その色も四神に由来し、
東は、青龍の青、
西は、白虎の白、
南は、朱雀の赤、
北は、玄武の黒、
となっている。

青龍の色は蒼色、つまり緑色だ。
青龍は蒼竜(そうりゅう)と言われることもある。

こうして四方位を神に護られた土俵で
神事である相撲が執り行われるのだ。

力士、行司の
ひとつ一つの美しい所作に
うっとりとする。
そして、いつもテレビで観ている力士が
目の前で躍動感たっぷりに取り組む姿に
興奮し、気づけば双眼鏡そっちのけで
声をあげていた。

ファンである力士の取り組み前に、
応援のパネルとともに声援を送ると、
ちらっと見てくれた気がした。
それが嬉しくて嬉しくて、
いつもより力をこめて応援した。

すると、見事、白星に!
喜びいっぱいバネル高くあげていると
また、ちらっと見てくれたように思われ
「あぁ、応援が届いた!!」と感激した。

それは、心の中にしか録画できない、
宝物のような一瞬。

勝敗に関わらず、
好きな力士を応援すること、
その声が届くこと、
それが、こんなにも嬉しいものなのかと
感動していた。

応援することは、相手のためだけでなく、
自分も楽しくなり、
勇気づけられたりもする。

応援したいと思う人がいてくれることは、
応援する自分の日々を彩り、
元気に楽しくしてくれるのだと
気づかされた。

それは友人も同じだ。
日々、なにげないことを話して、
常につながっているような気になりがちけれど、
実はそれぞれの胸の内にある
苦労や悩み、悲しみ、喜びの全て知っている
わけではない。
気づかず、後になって、大変な思いをしていたと
知って驚くこともある。

どんなにその人のことを大切に思っていても
何の力になれないことのほうが
多いのかもしれない。

無理に役立とうとしても
かえって迷惑になることもある。
そうわかっていても、心は寄り添いたい。

いい時も、そうでない時も、
ひっそりと応援しあいながら、
しみじみと互いを思い、
語り合う時を大切にしたいと思うのだ。

数年前に
フルマラソンで走る友だちを
仲良し数人で沿道で待って応援した。
遠くからもわかるように、
鬱蒼とした森のようなかつらをかぶって
待っていた。

見つけてくれた時の嬉しさといったら…。
青龍になって伴走していくような
喜びとファイトが湧いてきた。

応援することは、見守りながら、
強くありたいと気づかされること。
応援し、応援されて、朗らかに、
これからも続く青々とした道を歩いていきたい。