夏の終わりの、泡の色。

八月三十一日の日記には、
不安と焦りを思いつくまま、
書きなぐっている。
高校三年生の夏。

琅玕(ろうかん)色は、
明るく渋い緑色。
琅玕(ろうかん)とは、
宝石・翡翠(ひすい)の中でも、
とりわけ美しく半透明のもの。

父から「進学をあきらめてくれ」と言われたのが、
高校三年の春。
目の前が真っ暗になった。

進学をあきらめたくなくて、
ポーズだけでも、と部屋にこもって勉強した。
幸い、金銭的に目処がつき、
期末テストの終わる頃、
進学してもよし! となった。
ただし二年間。短大のみ。

本当は四年制大学に行きたかったけれど、
進学できるだけでも
嬉しくて嬉しくて、
うんと勉強する! と心に誓った。

が、そこでやって来た夏休み。
海が有名な観光地であるゆえに、
街全体がザワザワと浮かれ始める。
街が、人が、
夏の陽気に包まれていく。

夏期講習や塾の帰りに、
息抜きと称して友達とおしゃべりを楽しんだ。
涼しげなソーダの色は
鮮やかで澄んだ琅玕(ろうかん)色だった。

夏休みは、毎日会えない分、
友達との話も濃厚になる。
ついつい…のおしゃべりも尽きず。

今日遊んでも、明日がある。
長い休みは、心を楽しくゆるませていた。

そして、模擬テスト。
惨憺たる結果を見て、
どうしよう…と、後悔に苛まれた。

七月の終わりに、奨学金貸与の面接試験があった。
集まったのは、それまであまり話したことのない、
成績優秀な同級生たち。
待ち時間に、初めて話す彼ら彼女らは、
しっかりと将来を見据えて、
様々なことを調べ、
準備していると知り、驚いた。
とても賢く、かっこよく見えた。

一方、志望校も決まらぬまま、
模擬テストの結果に一喜一憂する自分は、
子供っぽく、愚かな人間に思えた。

美しい琅玕(ろうかん)は、
身分の証明でもあり、
決意の固さを示すものであったという。

進学してもよし! となった時の自分は、
両親が喜んでくれるような学校に行く!
そう決めていたのに。
何になりたいのか、
何になりたかったのかもわからなくなっていた。

夢は、琅玕(ろうかん)の毅然とした輝きではなく、
ソーダの泡のように淡く消えるものになっていた。

八月の終わりになると、
友人たちが、電話や手紙や立ち話で、
その夏のことを話してくれた。
それは、恋愛相談であったり、
恋が終わった報告だったり。
みんな、それぞれの夏があったんだな、と
日記に書いている。

面接で一緒になった同級生も、
恋をしていた友達も、
みんな悩みながら、夏休み前よりも
前進している気がした。

一方、私は何もなかった。
成績は上がらず、
ときめくようなこともなく、
一学期のままの自分。

そんな不甲斐なさを、
取り残されて行く焦りを、
日記に書きなぐっていた。
「みんな大人になって行く」と。

日記はその後、一ヶ月に一度となり、
受験結果は二校不合格になり、
自分の愚かさを散々思い知って、
二月で終わっている。

挫折を知って、の最後の一行。
「去年の私よりも、大人になっているのだろうか」。

大人のベテランとも言える歳になっても、
夏になると、この問いかけが胸によぎる。

その時、目に浮かぶのは、美しい琅玕(ろうかん)色。
翡翠になれなかった、ソーダの泡の色だ。

時がおしえてくれる色。

「二月の雪、三月の風、四月の雨が、美しい五月をつくる」。
新緑の頃、思い出す天気のことわざの一つだ。

英語にも似たことわざがある。
「March winds and April showers bring forth May flowers」
(三月の風と四月の驟雨が五月の花をもたらす)。

虫襖(むしあお)色は、
玉虫の羽のような暗い青みの緑色。
光の角度で玉虫のごとく、色が微妙に違って見える。

短大二年の夏に、アメリカ出身の先生の
京都にある海辺の家へ三泊四日の合宿に行った。
先生夫婦と生徒四人、古民家で英語だけの暮らし。
集まったのは、県選抜の交換留学経験のあるクールなA子、
真面目でもの静かなB子、ホームステイ帰りの陽気なC子。
観光地ではない、静かな田舎町にたどり着いたところから
英語生活はスタート。
街の人たちも、日本人なのに英語を話す私たちを
優しく迎え入れてくれた。

合宿が始まって数時間。
気軽に参加したことを後悔した。
皆、本当によく英語を話す。
とりわけA子は、流暢すぎて何を言ってるのかわからないほどだった。
それでも、和やかな雰囲気の中で、
私一人が時にジェスチャーで、四人協力し、家事や遊びを楽しんだ。

三日目、海で遊んでいると夕立が訪れた。
干していた布団が濡れると慌てて帰ると、
近所のおじさんが取り込んでいてくれた。
そのお礼に行った時、つい「ありがとうございました」と
日本語で言ってしまい、A子にひどく叱られた。
そんなに怒らなくても、とふくれたところ、
A子のこれまでの怒りが爆発。
真剣に学びに来ているのに、いつもあなたのふざけた態度が
それを邪魔する…というようなことを、一気にまくしたてた。
B子もC子も黙っていたから、同じ気持ちだったのだろう。

その日の夜、先生が突然、
「特別な場所に連れて行く」と、先頭立って歩き出した。
街灯もほとんどない街の、静かで暗い夜だった。
背の高い葦が鬱蒼と生えているところに着くと、
先生が「しーっ」と指を立てて、そーっと歩くのだ、
とジェスチャーし始めた。それは私をマネた仕草。
みんな、私の方を見てクスクス笑ってくれた。

葦の中に入ると、暗くて足元が不安定で
怖くなった。
方向も、皆の姿も見失い、
恐怖で動けなくなっていると、
ふわりふわりと
螢が舞うのが見え始めた。

幻想的な光景に感動しながら、
じっとしていると、
三人が探しに来て、手をつないでくれた。
みんなで黙って、ゆっくり前進した。
仲直りしたことをくすぐるような蛍の光に、
照れくさく、嬉しく、安心の涙も少しこぼれ、
暗くてよかったと思った。

そんな光景を思い出しのは、
富山の川沿いを歩いたからだ。
小説「螢川」の舞台となった川、街。
寒い冬のシーンから始まり、
螢舞う季節に移る中で
人や景色が変わってゆく。

同じように見えて、変化してゆく川の表情を
眺めていたいと思った。

そして小説のラストを思い出していた。
美しく妖しい螢の光。
襲いかかるような未来への不安。
最後の一行を読んだ後も、ページをめくり、
次のシーンを探し求めた。

あの時の三人も、今はどんなシーンの中に
いるのだろう。
風を受け、雨に打たれ、その経験を力にして、
美しい五月のような「今」を迎えているだろうか。

いいことも悪いことも、玉虫の羽のように
見方によって、色合いが変わる。

あの時、先生は、暗闇の中、
小さな光を一緒に見つけることで
互いの存在がどれほどありがたく嬉しいものなのかを
教えてくれたのだ。
それは、明るい昼間ではわからなかったことなのかもしれない。

人は言葉でつながり、言葉で別れることもある。
言葉はなくても、つながる瞬間もある。

その時には気づけなかったことを、
あの日から遠い時間、遠い街で、教わった。

川面のきらめきは螢のように、
そして五月の木々は虫襖色に輝いていた。

多分、蒼い。

蒼色(そうしょく)は、
少し暗い青緑色。

蒼(そう)には、
「あおい」という意味もあるが、
「草木が茂る」という意味もある。
生い茂る草木の様子を表すときに、
「鬱蒼(うっそう)」と表現するように、
和の色では「蒼色」は緑系の色とされてきた。

夏の終わりに、両国国技館まで
大相撲を観に行った。
毎場所、テレビ観戦を楽しみにしていて
いつかは国技館で…と
強く願っていた観戦が実現したのだ。

しかと見届けたいと、
家にある一番よく見える双眼鏡を用意した。
緑色のその双眼鏡を見た友人が
「房と同じ色だ」と言う。

房?
と、きょとんとする私に、
友人が“房”について説明してくれた。

土俵の上に吊屋根があり、
その四隅、東西南北に
房が下げられている。
房は各方位を司る「四神」を表す。

その色も四神に由来し、
東は、青龍の青、
西は、白虎の白、
南は、朱雀の赤、
北は、玄武の黒、
となっている。

青龍の色は蒼色、つまり緑色だ。
青龍は蒼竜(そうりゅう)と言われることもある。

こうして四方位を神に護られた土俵で
神事である相撲が執り行われるのだ。

力士、行司の
ひとつ一つの美しい所作に
うっとりとする。
そして、いつもテレビで観ている力士が
目の前で躍動感たっぷりに取り組む姿に
興奮し、気づけば双眼鏡そっちのけで
声をあげていた。

ファンである力士の取り組み前に、
応援のパネルとともに声援を送ると、
ちらっと見てくれた気がした。
それが嬉しくて嬉しくて、
いつもより力をこめて応援した。

すると、見事、白星に!
喜びいっぱいバネル高くあげていると
また、ちらっと見てくれたように思われ
「あぁ、応援が届いた!!」と感激した。

それは、心の中にしか録画できない、
宝物のような一瞬。

勝敗に関わらず、
好きな力士を応援すること、
その声が届くこと、
それが、こんなにも嬉しいものなのかと
感動していた。

応援することは、相手のためだけでなく、
自分も楽しくなり、
勇気づけられたりもする。

応援したいと思う人がいてくれることは、
応援する自分の日々を彩り、
元気に楽しくしてくれるのだと
気づかされた。

それは友人も同じだ。
日々、なにげないことを話して、
常につながっているような気になりがちけれど、
実はそれぞれの胸の内にある
苦労や悩み、悲しみ、喜びの全て知っている
わけではない。
気づかず、後になって、大変な思いをしていたと
知って驚くこともある。

どんなにその人のことを大切に思っていても
何の力になれないことのほうが
多いのかもしれない。

無理に役立とうとしても
かえって迷惑になることもある。
そうわかっていても、心は寄り添いたい。

いい時も、そうでない時も、
ひっそりと応援しあいながら、
しみじみと互いを思い、
語り合う時を大切にしたいと思うのだ。

数年前に
フルマラソンで走る友だちを
仲良し数人で沿道で待って応援した。
遠くからもわかるように、
鬱蒼とした森のようなかつらをかぶって
待っていた。

見つけてくれた時の嬉しさといったら…。
青龍になって伴走していくような
喜びとファイトが湧いてきた。

応援することは、見守りながら、
強くありたいと気づかされること。
応援し、応援されて、朗らかに、
これからも続く青々とした道を歩いていきたい。

夏、懐、なついろ、ふるさとの色。

今回は、わたしオリジナルのいろ、
なついろ。
夏の、懐かしさの、さまざまな色を
「なついろ」とする。

わが故郷には、日本三景のひとつ、
天橋立がある。
海を分けるようにうねって伸びる砂州の形、
海の青と緑の松のコントラストも鮮やかな景観。
生まれたときから、
日常の景色の中に、その美しい眺めはあった。

高校二年の夏には、
「またのぞき」で
天に架ける橋(天橋立)を
眺める展望台でバイトしていた。
ケーブルカーとリフトの、
のりばの改札係だった。

ケーブルカーの改札では、乗客の安全乗車、
ドアロックを確認して、笛をふき、発車を見送る。
それは、なかなか気持ちよく、楽しい仕事だった。

毎日、眺める天橋立の景色も、
海の色も、時間ごと、日ごとに、
少しずつ異なり、空き時間に
どれだけ眺めていても
飽きることがなかった。

進学、就職、結婚、転勤…と、
どんどん故郷からは距離が離れ、
実家もなく、帰れない街になっても、
その景色は、ずっと心にある。

四年前に久しぶりに一人で
ゆっくりと帰り、街を見て回った。
街はすっかり変わっていて、
驚きの連続だった。
道は広くなり、あったものがなくなり、
なかったものがあり、
どこか知らない街のようだった。

それでも、日本三景の美しい眺めは
変わらずそのままで、
どこから見ても懐かしい景色だった。
それが、とても、とても、嬉しかった。

その街が、大雨にふられ、
過去にない災害に見舞われた。
ネットで見た、大雨による被害、
友だちから知らされる豪雨の恐怖。
まったく想像もしていなかったことが
街を襲ったのだった。

たくさんの穏やかで優しい、
故郷の色が、抗えない自然の大きな力に
さらされていた。

心配で、悲しい気持ちになったけれど、
日々、たくさんの方々が
元の美しい形に戻そうと
奮闘されている。

「風土がひとをつくる」という。
大変ななかでも、明るさを失わず、
励まし合い、力をあわせて
粘り強く闘う姿に、
胆力とは何かをおそわる思いだ。

四年前の七月に訪れた故郷の街も、
ひどく雨が降っていた。
久しぶりに展望台に上がったのに、
雨で景色が見えない…
残念がっていたら、
どんどん雲が流れて、晴れ間が現れた。

そして、雨に濡れて輝く
まさに「天に架かる橋」の景色を
夏空のもと、懐かしい「なついろ」に染めて
見せてくれたのだ。

その瑞々しく美しい姿は、
どんなに荒れた天気の日にも
厚い雲のむこうには、眩しいほどの太陽が
待っている…そのことを改めて教えてくれた。
あれこそが、私たちの強さと
明るさを育んでくれたものなのだ。

災害に遭われた街が、
一日も早く、元の姿に戻りますように。
この夏もたくさんの観光客でにぎわう
故郷の光景も心から願う。

つよく、ふかく、心に残る色。

深碧(しんぺき)色は、
力強く深い緑色。

新緑が眩しい季節になると、
自然の中へと
出かけたくなる。

それは、幼い頃、
近所の子どもたちそろって
川遊びした楽しい記憶があるからだろう。

確か小学校に入ったばかりの夏、
一番年上のお兄さんを先頭にして
川を上流にむかって探検をした。
草いきれの中、
緑を、かきわけ、かきわけしながら、
でこぼこの身長の子供たちは、
虫かごやバケツをもって
ドキドキしながら歩いていった。

前をゆく
大きいお兄さんたちは、
とても頼もしくて、
後ろについていてくれるお姉さんは
とても優しくて、
臆病な私も、
前へ前へと進んでいった。

さて、
その先に何があったのか──。
それは、
残念なことに覚えていない。
ただ、お兄さんたちの
光を浴びたシルエットだけが
記憶に残っている。

怖かったけれど、
たくさん笑って、
たくさん歩いた。
太陽と川面の光が反射した
キラキラ輝く記憶だ。

あまりに楽しくて、
「あしたも、また探検しよう」
と、約束し、
翌日、同じ探検をしても
もう楽しくなかったのが
不思議だった。

「またあした」
「また遊ぼう」
そう言って、ずっと続くことを
無邪気に信じていた。
けれど、
時がたつと、みんな成長し、
人も環境も様子がかわっていった。

「またあした」の「あした」は
いつ終わったのだろう。

懐かしいあの通りに
あの時遊んだ人たちは、もういない。

あれから何度も新緑の季節を
迎えては見送って、
記憶は遠くなるのに、
眩しい緑色は、あの日の
川の音や、笑い声を
いきいきと思い出させてくれる。

「みどり」には、
草や木の色をさす「緑・翠」と、
青の美しい石をさす「碧」の
文字がある。

人生のなかの新緑の季節は、
とても短くて、
あっという間に葉は色づき、
やがて枯れてゆく。

それは、ごく自然なこと。
寂しくても、嫌だとあがいても、
誰もみな同じように
時が流れて、同じように枯れてゆく。

大切なのは、過ぎてゆく時間の中で
朽ちずに残る青く美しい石を
小さくてもいいから、
残していくことではないだろうか。
自分のなかに、
できれば、誰かの心のなかに。

今年も新緑の写真をたくさん撮った。
パソコンにずらりと並べると
いくつもの青く美しい石に見える。

誰に借りたものでもなく、
私がそこにいて、誰かに伝えようとした
かけがえのない石たち。
まだまだ美しい石とはいえないけれど、
技術を磨き、想いをのせて、
力強く深い緑色にして
残していこうと思う。

ヒミツが噴き出す思い出色。

くすんだ淡い青緑、
緑青色(ろくしょういろ)。

箸置き

飛鳥時代、仏教とともに、
中国から伝来したという
緑系の代表的な伝統色だ。

古くから日本画の顔料として、
また、神社仏閣などの建築物や彫刻の
彩色にも用いられてきた。

浅草寺

先日、とある街の文化館で
昭和の懐かしい品々の展示を見た。
何より目を引いたのは、
ガリ版(謄写版)の一式だった。

ガリ版

小学校の頃の文集は、
全てこの印刷方法で作っていた。
道具には、緑青の色が見られて、
あぁ、これだ!
と、嬉しくなった。

ソノシート

文集作りが好きだったという
記憶はないのだけれど、
その作業が終わらず、放課後遅くまで
残っていた記憶がある。

真っ暗な校舎。
先生方の雰囲気も、どこかリラックスして、
昼間よりも親しみをこめて、
話しかけてくれた気がする。
ある先生が引き出しから出して
「内緒よ」とくれたのも、
緑青と黒色の飴で、ハッカの味がした。

木馬

暗くなった校舎は少し怖くて、
いっしょに作業する友達とは、
身体も心の距離も昼間より近くなり、
作業しながら、
たくさん内緒の話をした。

いくつもの内緒が、
ひっそりとふえる時間。

有刺鉄線

それは、誰にも言わないままに、
記憶の器に大切にしまわれて
ふたをされて、
今はもう、開けることはできない。
誰かに訊いたり、思い出すこともできない。

井戸

けれど、その記憶の器から、
ふきこぼれるような思い出が、
美しい顔料となって、
胸の中を嬉しく楽しく包んでくれる。

石像

そんなふうに、誰もが、
折々に取り出したり、
もう開けたくないとそのままにしたり、
あるいは存在すら忘れているような、
さまざまな記憶の器を
持っているのではないだろうか。

表参道

銅製品の青緑のサビをさすときに
「緑青(ろくしょう)をふく」
と言われる。
そのサビもまた、顔料になるのだという。

苔

どんなふうに置かれていても、
記憶は、心の一部となって、
時おり噴き出して
人の想いに、表情に、表れるのだと思う。

椿山荘

「サビ」は時間がつくるもの。
自分の中のサビが深く、味わいのある顔料となって、
見る人、出会う人に、
やさしい一滴の色を贈れるようになりたい。

不老長寿の聖なる色。

厳しい暑さや寒さにも、
じっと耐えて、変わらない松の色。
この濃い緑を常磐色(ときわいろ)という。

松や杉などの常緑樹を、
常磐(ときわ)木というため、
その葉の色をこう呼ぶ。

冬にも色あせないことから
永遠不滅、不老長寿のシンボルとして、
古くから神聖な色としてされてきた。

“月日に負けない、色褪せない”
とは、心くすぐられる言葉だ。

先日、街で、娘の中学時代の友人に、
十数年ぶりにばったり会った。
変わらぬボーイッシュさと、
その溌剌とした様子に、
嬉しくなって「変わらないね」
と声かけて別れた。

ところがそのあと、いっしょにいた娘に
「“変わらない”が褒め言葉なのは、中年以降だよ!」
と、厳しく指摘された。

確かに、若い女性には、
「きれいになったね」
「大人っぽくなって…」
とその成長ぶりをほめるべきで、
「変わらない」
と言うのは、まだまだ子どもね、と
言っていることと変わりない。
うかつさを反省した。

変わらないこと、
変わること。
それぞれの良さをきちんと理解して、
心にとめておくことが大切だ。

田んぼの稲が、今年もたっぷりと実っている。
毎年同じ色に見えて、変わらないように思うけれど、
今年の夏のたよりない太陽の下、
災害にも遭わず、無事にここまでたどりついた色は、
春の鮮やかさとは、少し異なる深い喜びの色に見える。

去年と変わらないように見えて、
今年の稲は今年だけの色。
私だって、何も変わらないように思うけれど、
今年だけの私でもある。
変わっていないようでいて、
実は確実に変わっている。

老いてもいる。
経験が積み重なってもいる。
考えが狭くなっているかもしれないし、
その分深くなっているかもしれない。

自分のことでもわからないのだけれど、
変わらない常磐色のようにどっしり構えつつ、
変わるべきこと、そうでないことを
ひとつひとつ意識しながら、
目に優しい色に染まっていきたい。

匂いに守られて。

なんと読むのだろう。
はじめに、そう思った。
木賊色。
「とくさいろ」と読む。

トクサという草からつけられた名前で、
落ち着いた緑色。
別名を「陰萌黄(かげもえぎ)」とも言う。
萌黄色の若々しさに比べると、
大人の陰りと湿り気を感じられるような名だ。

お盆がやってくる…。
そう思うと、
子どもの頃は、従姉妹に会えるのが楽しみで
ドキドキして眠れないほど楽しみだった。
盆暮れにだけ会える、歳近い従姉妹二人。
海へ行って、すいかを食べて、
虫取りをして、花火をした。
布団に入ってからも、
お化けの話などして、いつまでもふざけあっていた。
やがて真打ち登場、
祖母のそれはそれは恐ろしい怪談に、
暑いのにくっついて眠りにつく…。
部屋の隅には、蚊取り線香。

ひとつ、ひとつの出来事には
はっきりと、それを思い出す匂いがあった。
夏は他の季節に比べて、匂いが色濃かった気がする。
海は潮の香り。
花火は火薬の匂い。
ツヤツヤとしたカブト虫の、
ほかの虫とはちがう独特のにおい。
蚊取り線香とセットで
虫さされの薬の鼻にツンとくる臭い。
近所も窓を開け放っていて、
あちこちから総菜の香りがしてきた。

そんなさまざまな匂いに包まれた夏の日々。
いつまでも続くと暢気に思っていて、
変わる日がくることなんて思いもしなかった。
けれど、
ある時から、受験だ、部活だ…と
従姉妹たちもそれぞれに過ごし方が変わり、
お盆の過ごし方もちがうものに変わっていった。
夏の香りは変わらないのに。

あの日から遠く離れて、
今思い出すと、
包まれたいたあの夏の香りは、
守られていた匂いなのだと気づく。

子どもたちが楽しく健やかで過ごせるよう
見守り、
食べさせて、
蚊取り線香を焚き、
虫にさされたら、やさしく薬を塗ってやる。

大人たちも、そうやって子ども時代を過ごしたように、
私たちに健やかな楽しみを、
見守りながら与えてくれていたのだ。

気づかないほど、当たり前に守られる愛情が
何代も昔から与えられ、引き継がれ、
今の自分がいる。

今は会えなくなったけれど、
変わりなく見守り、
愛情を注いでくれている人たちの気配を
いつもよりも強く感じられるお盆。

深い緑、木賊色の林や、川辺のあたりから
懐かしい人たちが、
やさしくほほえんでくれている気がする。

憧れと思い出を秘めた色。

秘色。
「ひそく」と読む。
別名は「青磁色」。

青磁は、平安時代に中国からやってきた磁器で、
それはそれは貴重なものとして珍重されていた。
中国では当時、
天子(皇帝)に献上されて、
臣下(家来)には使用が禁じられていたこと、
また、神秘的な美しさから、
その色は「秘色(ひそく)」と呼ばれていた。

子どもの頃、床の間に置かれた
青磁の壷を眺めるのが好きだった。
床の間に飾られたものは、
子どもが触ることは許されなかったので
その壷は、まさに秘色(ひそく)そのものだった。

そのためか、この色には特別な憧れがあり、
似合わないとわかっていても、
服に小物に、と、選んでしまう。
いつまでも、どこか叶わない色なのだ。

秘色(ひそく)という言葉から、
思い出して、取り出してきたものがある。
母から譲り受けた、37歳の父の日記だ。
織物の技術指導で
数ヶ月間、韓国に滞在していたときのもの。
言葉が通じないもどかしさや、
食べ物があわずに体調すぐれぬつらさ、
そして、家族や友人に会いたい想いが、
赤裸々に綴られている。

いつも明るくて、前向きで、
くよくよと悩むことなく生きよ、と、
背中を押してくれていた父の
秘めていた一面が、ここにある。

日記とともに、当時父が送ってくれた手紙があり、
そこには「班長をがんばりなさい」とある。
当時、かなりの引っ込み思案だった私が
班長になり、父に手紙で知らせたのは
自慢したい気持ちと、
元気であることを知らせたかったからだろうか。
その気持ちに応えて、父も明るく応援してくれている。
当時の父よりも大人になった今、
そのやりとりは、少し切ないような想いになる。

父が帰国する日は、学校から走って帰ったものだった。
父が日本を、家族を思うように、
私も寂しかった。父が恋しかったのだ。

当時は知らなかった父の寂しさ。
日記に小さな文字でびっしりと想いを書き綴る、
父の心の中は何色だったのだろうか。

そういえば、と、思い出した。
父は、うぐいす餅(「りゅうひ」と呼んでいた)が
好きで、帰国すると買ってきて、
感に堪えない顔で食べていたことを。
うぐいす餅。うぐいす色。
青大豆からできたきな粉の色。

あぁ、ほんのりと緑色だ。
秘めたる想いを、ひとときほぐしてくれたのは
きっと秘色に似た、その淡い緑色だったにちがいない。

高貴にして、やさしい秘色。
そんな家族の思い出とともに、
これからも憧れ、好きな色でありつづける。

萌えろ! いい色、もえぎ色。

もえぎいろ。
萌黄色、あるいは、萌木色とも書く。

黄色の強い緑色なので「萌黄」。
平安時代から用いられたこの名の色は、
時に老いを隠す変装にも使われるほど
ひと目で若さを表現できる色だった。

一方、「萌木」色とは、
若芽の萌え出た木、新緑の色からつけられた名と考えられる。

 

 
そんな若さ感じる「もえぎ色」。

その名を聞くと、子どもの頃、
友だちの誕生会におよばれして行ったことを思い出す。

誕生会は春夏秋冬、それぞれの季節にあったはずなのに、
思い出すのは、新緑の中で、おにごっこやかくれんぼした、
もえぎ色の記憶なのだ。

誕生会で集まる友だちは、クラスの中のひとつのグループであり、
その固い結びつきの中にいられることが
安心感でもあり、息苦しさでもあった。

そこで笑ったこと、喧嘩したこと、経験したことは、
その当時の世界のすべてだった。

成長するにしたがって、世界は少しずつ広がり、
グループにとらわれることが居心地悪くなっていった。
ここがダメでも、別の場所があり、
変わること、離れることで、
ひととき胸に痛みがはしっても、
求めれば、新しい世界が大きく手を広げて
待っていてくれることを知った。

幼くて、たよりなくて、
小さな世界で悩んで、
でも、若くエネルギーに満ちて輝いていたあの頃。
その姿が萌え木と重なって見える。

だから、懐かしく、やさしく、愛しく見えるのかもしれない。

生きてみなければ、わからないことが
まだまだいっぱいあるよ、
と、若く瑞々しいもえぎ色が
葉を揺らせ、くすぐるように笑いながら、
今年もさわさわと語りかけてくれる。