新たなチカラを生み出す色。

久しぶりに撮りに出かけた。
相棒は、新しいカメラ。

左伊多津万色(さいたづまいろ)は、
黄色みを含んだ濃い緑色。

「サイタヅマ」とは、
タデ科の多年草「虎杖」の古い名前。
「虎杖」もまた、
「イタドリ」という読みにくい名前だ。

お江戸の日本橋から日比谷まで撮り歩いた。
新型コロナウイルス感染者数の
減少もあってか、
街に明るいものが感じられた。

眩しい午後の光の中、
オープンカフェや、
ベンチでくつろぐ人たち。

その心地よい秋の光景を、
再び撮ることができるのが嬉しくて、
何枚も撮り続けた。

大手町のショウウィンドウを
撮っていると、
待ち合わせだったのだろう。
女性二人が駆け寄って再会する瞬間を
背後に感じた。

「あぁ、やっと会えたーっ!」
「感無量…」
「長かったねぇ。いつからぶり?」
「まずは今日の作戦をたてよう」
…そう言って、カフェに消えて行った。

ステイホーム、個食、黙食…
会いたい人に会えない。
ゆっくりと食事したり、
お酒を飲みながら話したいのに、
話せない。

ガマン、ガマン。
もう少し、あと少し。
そろそろかなぁ…
やっぱりダメか…。

そんな日々の中で
積もっていく、寂しさや不満や
悲しみもあったと思う。

一気に元通りに!
というのは無理でも、
ひととき、少人数で、
用心しながらも
楽しみを味わえるのだとしたら、
大事にしたい…。
そんな喜びがあふれる瞬間だった。

「虎杖(いたどり)」は、
その葉を揉み込んで貼ると
痛みが和らぐことから
「痛取(いたどり)」と
呼ばれるようになったという。

この自粛期間の胸の痛みを
「痛取(いたどり)」してくれるような、
左伊多津万色(さいたづまいろ)の
木々の葉や、秋の始まりの優しい風が
爽やかに吹き抜けていた。

そうした嬉しいシーンを
たくさん撮ったはずなのに。
帰ってきて写真を
パソコンに取り込んだところ
まだ慣れないカメラのため、
うまくいかない。

あれやこれやと試しているうちに、
操作ミスをしたものか、
SDカードの中のデータが
壊れてしまった。
「読み込むことができません」と
いうエラーメッセージとともに、
二度と見ることができなくなってしまった。

…ショック。

見るのを楽しみにしていた写真も
何枚かあったのに。

もう二度と見られない写真は
存在しないことと同じ。
そう思うと、ひどく落ち込んだ。

しかしその日、目にした、
再会を喜びあう人たちの
姿や言葉、歓声が、
胸によみがえった。

会えなかった時間は、
なかった時間でない。
そして、
見えなくなった写真は、
撮らなかった写真と同じではない。

会えなかった時間に、
心にためた相手への想い、
大切だと気づいたことなど話せば、
交流はより一層、
楽しく豊かなものになる。

写真は消えても、
その日、その場所で撮ったこと、
思ったことは、消えない。

落ち込んでも仕方ない。
しっかり調べて、知ること。
自分で解決できる失敗など
小さなことなのだと
改めて思う。

かんたんに解決できない、
悲しいことや、悔しいことは、
これからも起こるかもしれない。

けれど、悲しみや悔しさの痛みを
経たことで生まれた強さ、
誰かの痛みも和らげる力も、
今の自分にはあるはずだ。

それを大切に胸に抱えて、
見えない未来に、立ち向って行こう。

その力は、
私を遠くまで飛ばす。
きっと、笑顔で
飛んでいける気がする。

毒にもなれる強さを持って。

日暮れの街に灯る
店の窓から
あたたかい笑い声が聞こえるようになった。

雄黄(ゆうおう)は、
明るく鮮やかな橙色。
雄黄という鉱物から作られたことから
この名で呼ばれている。

社会人になり、
一人暮らしをしていた時のこと。
深夜残業で帰宅して、冷蔵庫に何もなく、
コンビニへ行こうとしていた。

マンション前の通りは、広いものの
人通りが少なく、
正面からやってきた男の人と、
ぶつかりそうになった。
右に左によけるものの、
どうしてもぶつかりそうになってしまう。

改めて見ると、その男は
うす笑いのまま動きが止まり、
怖くなった。

通りに面した居酒屋へ
走って飛び込んだ。
初めて入ったその店は、
カウンター席のみの狭さながらも
満席の賑わい。

急いで引き戸を閉めて、
振り返ると、
みんながピタリと話をやめて
私を見ている。

ただならぬ表情を見て、
「お姉さん、どうしたの?」と
尋ねられた。

あわあわとなっていて、
「そこで…男の人が…」
くらいしか話せなかった。

「なんだって!?」と、
紺色の作務衣の女将さんが
カウンターから出てきて、
水を一杯くれた。

「こりゃ、女将さんの出番や」
「説教してやれ!」
陽気なお客さんの言葉に
「よし、いっちょ行ってくるわ」
と、女将さんが腕をまくって、
私と一緒に店を出た。

用心深く辺りを見回し、
シュッと手を伸ばして私を庇いながら、
「よしよし、だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、
マンションまで送ってくれた。

「また、何か怖いことあったら、
 いつでもおいで」。
突然転がりこんできた小娘に
女将さんはやさしく笑ってくれた。

その夜は、恐怖から一転、
大人のあたたかさと、安心感に包まれた。

先日、日時計を見に行った。
日没前の小高い丘にある時計の周りを
たくさんの花が咲き、人が集まっていた。

夕刻、雄黄の色に辺りを染めて、
日が沈む。
人も、日時計も、ゆっくりと
暗闇の中に消えてゆく。

あの時の女将さんと、今の私は
同じ歳の頃になるのだろうか。
あんなに頼もしい大人になっていないことに
情けなさも感じる。

どんな人にも人生の時計があり、
それぞれの時を生きて、
夕暮れの時を迎える。

雄黄は、毒性が強いことでも知られている。
「雨月物語」では、
蛇の化身を退治するために、
法師が雄黄を持って、
立ち向かおうとする場面もあるほどだ。

蛇退治ではなくても、
日々の暮らしの中で、
思いがけずやってくる、恐ろしいもの、ことなどを
追い払うために、毒なるものが必要な時がある。

あの日、女将さんだって
怖い気持ちはあっただろう。
けれど、飛び込んできた小娘のため
毒なる力を振り絞り、守ってくれた。

暮れどきを知らせる
日時計を見ながら、
人生の夕暮れ時を迎え、自分はどれほど
人を守る力を持てたかを思った。

知恵と経験で得た力。
強さと、優しさと、艶やかさ。
大人になったからこそ、
引き出せるものがあるはずなのに。

居酒屋の灯り、
夕暮れの公園のにぎわい。
雄黄は、ほんのりとあたたかく、
後悔や焦りや、諦めさえも、
まろやかに包み込んでくれる。

日没のあと、浮かび上がる
山々のシルエットに
思い出の日々が滲んで消えていった。

ほんものに、染まれ!

久しぶりに使おうとしたら、
カメラが壊れていた。

甚三紅(じんざもみ)は、
黄みがかった紅色。

どんな色かイメージしにくい、
この色名は、
江戸時代の染め屋
「桔梗屋甚三郎(ききょうやじんざぶろう)」の
名にちなんでつけられたという。

壊れたカメラは、
バッグに入るコンパクトサイズで、
六年前に買ったもの。
ちょっと背伸びして買ったお気に入りだった。

が、背伸びが過ぎたようで、
買った当時は、使い方がわからなかった。
取扱説明書を読んでみても、
チンプンカンプン。

ま、いいや、撮っちゃえ!
と、出かけたものの、
あれ? ええっと? どうしよう!?
…そう混乱する中で、
初日から、カメラを落としてしまった。

派手に落としたものの故障はなく、
まずは丈夫なカメラであることが
相棒として頼もしかった。

その後も何度も落としたり、
雨でびしょ濡れにしたり、
吹雪の中で転んだり…。
なかなかハードな使い方により、
突然、レンズフードが閉じなくなったこともある。

あぁ、ついに故障!?
とドキッとしたことは、かず知れず。

江戸時代、紅色は、
鮮やかで人気があった。

ところが、紅花を使った染めは高価で
庶民には手が出ない。
そこで桔梗屋甚三郎は、
茜(蘇芳という説もある)を使って、
紅花染めに近い色を染めることに成功した。

安価なその紅色は、
庶民に大人気となった。

売れに売れた結果、
甚三郎は長者になり、
作った色も「甚三紅」と
呼ばれるようになった。

とはいえ、
本物の紅色でないことから
「紛紅(まがいべに)」とも言われたという。

きちんと学ぶことなく、
基礎知識すら知り得ていない私の撮る写真は、
紛いものと自覚している。

それでも、撮る時は、本気だ。
あの角度から、こちらから、と、
自分なりのよい写真を追求して撮る。
何枚も、何枚も。

これで世に出られるわけもなく、
収入が得られるわけでもないのに。
なぜ撮る?

そんな問いかけもあった夏だった。

なかなか撮りに行けない状況の中、
動けない自分の心と、
動かなくなったカメラのリセットボタンを
何度も押しながら、
自問自答し続けた。

ただ、いい風景をカメラに収めたら、
誰かに見てもらいたい。

そのことだけが、自分を動かす。

桔梗屋甚三郎が
紅花を使わずに、
初めて鮮やかな紅色を
染め上げた瞬間を思う。

嬉しかっただろう。
鮮やかさに心躍ったことだろう。

名をあげる。
収入を得る。
結果、そうなったのだけれど。

目指す色を工夫を重ねて
染め上げた瞬間の喜びは、

“あぁ、人に見せたい!”

ではなかったかと思う。

情熱的な紅色を
たくさん見つけた時、
あぁ撮りたい!
人に見せたい!
と思った。

その時、
もう撮ることのできなくなったカメラの
シャッター音が聞こえた気がした。

迷っても、壊れても、
何かになれなくても、
撮りたい。発信したい…。
その気持ちが、シャッターを押させる。

修理代が高くつくため、
今回、古い型のカメラを買った。

洗濯物を干していると、
赤とんぼが物干し竿に留まった。
その赤色を撮りたい! と思った。

「それは、ほんもの? 紛いもの?」
そう問いかけながら、
これからも色を求め続けていく。

ほんものかどうかは、
のちの日に人が評価する。

さようならば、秋の色。

秋が深まり、
紅葉だよりなど聞かれるようになった。
冷え込む朝は、寒さよりも
葉の色づきが気になって仕方ない。

藤黄(とうおう)色は、
鮮やかな黄色。
採取される植物の顔料「藤黄」から
この名がついたという。

「イチョウ並木が鮮やかに色づいています」
という情報に、いてもたってもいられずに、
秩父を訪れた。

当日は、「雨ときどき曇り」予報。
けれど、目的地にたどり着いた時は、
笑ってしまうほどの土砂降り。
激しい雨の中、
誰もいないイチョウ並木を
ずぶ濡れになりながら撮って歩いた。

雨に煙る景色の中では、
やわらかな黄色に見える並木道。
膝から下が重くなるほど濡れながら、
近づいてよく見ると、葉はまだ若い黄色。
雨にぬれることも楽しむように
キラキラと輝いている。

雨の重さを、ときどき振り払うように、
パーンと弾けて水しぶきあげる葉っぱたち。
溌剌とした瑞々しい命の輝きを見た。

その眩しい色は、
華やかに見えながらも、
落ち着いた日本の秋景色の色。
藤黄色は、古くから日本画の絵の具、
工芸品の塗色として珍重されてきた
和の色だ。

並木道の木々を包む、
たっぷりとした藤黄色の葉は、
時にハラハラと落ちていく一枚一枚に、
「さようなら」
と、手を振るように見送っている。

いつか、自分も落ちてゆくことを
知りながら、やさしく見守るように。

「さようなら」の言葉は、
「それなら」「それでは」
という接続語から来ているらしい。
“さようならば(それならば)、これで別れましょう”
から生まれた言葉という。
時が満ちて、枯れてゆく。
それでは、これで。
と、落ちてゆく。

人も木々の葉も同じなのだなぁ。

若い頃は、老いることなど思いもせず、
その姿や動きは、自分には関係ないものと
思っていたようなところがあった。
枯葉になって落ちていくのを
無邪気にバイバーイ! と
手を振ってしまうような。

さまざまな色のイチョウが見られる
その並木道は長く続いていて、
時に汽車型の園内周遊バスがやってくる。

遠足の子供たちが傘さして進む。
雨の中も楽しそうに賑やかに。

それを見守る優しい老人のように、
ゆっくりと注意深く、
誰も乗せずに、寂しそうに去ってゆくバス。

おそらく今年はオープンしなかった
バーベキュー場やレストランも
引越しのあとのように
しんとしている。

静かな夏が過ぎて、
さみしい秋が来て、
やがて身も縮む寒さの冬がくる。

来月末にはもう、
今は藤黄色に輝く葉も落ちて、
景色は全く変わっているだろう。
うらがれたイチョウ並木の光景に
この秋の景色を懐かしく思い出す人は
いるだろうか。

毎年、季節や自然の色に
「それならば、これで。」
と、別れを告げて来たのに、
今年はそれも言えなかったような
あっけないような寂しさが胸にある。

いつも通りのようで
全く異なる2020年の秋。
せめて彩りだけでも
いつもよりうんと鮮やかであるように願う。

冷たい風の中、
その願いだけは叶えられそうな気がしている。

実りのときの色。

二ヶ月ぶりに撮りに行った。
景色が驚くほどに秋めいて、
彩り豊かになっていた。
濃く深く、鮮やかにして優しい秋の色。

仏手柑(ぶしゅかん)色は、
深く渋い緑色。
仏手柑(ぶしゅかん)とは
シトロンの一種。
調べてみると、
高知の四万十で栽培されている果実、
「ぶしゅかん」の色が
この色に近いと思った。

十月になった。
暑さの余韻があるように、
夏の名残が、まだあちこちにあると思っていた。

けれど自然は、
季節の変化を察知し、色を変えていた。
秋という字は、「実り」、
そして、大切な「とき」を意味する。

大切に育ててきた稲や果実がなる
実りの「秋(とき)」。
収穫のとき、喜びの季節だ。

外出自粛、ソーシャルディスタンス、イベント中止…
そんな世の中の動きの中でも
時が満ちたら、こんなふうに花が咲き、
稲が実り、景色が色づく。
もちろん、そこには丹精する人がいて、
日々世話をし、作業を行い、秋の姿へと導いてくれたのだ。
その尊さを、改めて感じた。

どんな時も、暦に従い、
やるべきことをやり、積み重ねていくこと。
その厳しさ、大変さを経たから
喜びの時がやってきたのだ。

秋の彩りは眩しく、美しい姿で、
そのことを教えてくれた。
振り返って、自分はこの数ヶ月、
きちんと成すべきことをやってきただろうか。
こんな時だから…と、言い訳をして
怠けてはいなかっただろうか。

その答えは自分で出さなくても、
「実り」として結果に現れる。
稲穂が重く頭を垂れているように
自分の中で積み重ねてきたものがあれば、
どっしりと肚の奥に感じられるものがあるはずだ。

景色をじっと眺めながら、
自分自身も見つめていた。
手応えは、とても頼りないものだった。

仏手柑(ぶしゅかん)色を探して
見つけた高知の「ぶしゅかん」。
その果実について調べているうちに、
五年前に高知を訪れた時のことを思い出した。

荒々しく雄大な桂浜、
可愛らしいはりまや橋、
のどかな山寺からついてきた猫…。
操作も構図もよくわからないまま、
目にするものを撮っていた。

今見ると、あぁ、せっかくの景色を…
と悔やまれ、再び訪れることができたら
どんなふうに撮るだろうかと
写真を眺めていた。

そして、「あ!」と気づいた。
カメラを変えて、たくさん撮って、
失敗を重ね、五年の月日がたった。
ささやかな前進らしきものもあり、
なにより撮ることを楽しめるようになり、
人生が豊かになった。
それは実りなのだろう。
そう思うと、喜びが胸に満ちた。

仏手柑色は、春の新緑とも違う
鮮やかにして、優しく包み込むような緑色。
雨風や厳しい暑さを越えた
花や田の実りの色を輝かせる、
ときめく色。

ときめくは「時めく」とも書き、
「よい時勢にめぐりあって栄えること」という意味を持つ。
かつての日常が戻るには、
もう少し時間がかかりそうだけれど、
いつかまた、きっと、時めく時は、やって来る。

あれから一年か…
もう五年も経ったのか…と、
思い出は、先の見えない現実から、
心を遠いところまで羽ばたかせてくれることがある。

秋を楽しもう。
また未来のどこかで、懐かしく思い出せるような
素晴らしい秋(とき)にしよう。

声を彩る色は何色?

台風の翌日、
近所の畑の木々に鳥が集まり、
賑やかに鳴いていた。

美人祭(びじんさい)色は、
明るく淡い紅色。
美人瞼色も、ほぼ同じ色とあり、
おそらく遠い昔の美女の瞼を彩る色
だったのかもしれない。

先日、このブログの拙文を、
友人が朗読してくれた。

朗読会での動画を見せてもらった。
女性らしい声の友人が、
時に少年ぽく登場人物にあわせて、
声のトーンや強弱を変えながら、
生き生きと、
臨場感たっぷりに読んでくれていた。

単調な文が呼吸して、
色づけられた気がした。
私が書いたものではなく、
別の物語に聴こえた。

声の音色、調子のことを
声色(こわいろ)という。
感情によって、
明るくなったり、暗くなったり、
低く高く、重くなる声の色。

それを見事に使い分けて、
登場人物の気持ちを表し、
地の文の味わいを豊かにし、
盛り上がりをつけていく…。

それまで知らなかった朗読という世界の
深さ、広がりに、驚き、感動した。

振り返って、私は自分の声を
そんなふうに表情豊かに使っているだろうか、
と考えてみた。

私の声は、出欠確認や面接の時、
初対面の人には「え?」と
改めて顔を見られるほど、
太く低く、愛嬌も華もない声だ。

たぶん、嬉しい時に少しだけ高くなるくらいで、
言葉を誰かに届ける時に
声音について考えたことはなかったように思う。

嬉しい時、喜びを伝えたい時、
そして、誰かを強く励ましたい時、
心の内に、この「美人祭色」を描いて
一番いい声音で声かけることができたら。
少しは、気持ちも伝わるのかもしれない。

台風が過ぎて、賑やかに鳥が鳴く様子は
きっと「生きてるかー」「元気だよー」と
交信しているんだね、と友人と話した。

そう思って聴くと、鳥の声音も
美人祭色に華やいだ。

発する時だけでなく、
聴く時も、声音の彩りを想うことの
大切さを知ったのだった。

多分、蒼い。

蒼色(そうしょく)は、
少し暗い青緑色。

蒼(そう)には、
「あおい」という意味もあるが、
「草木が茂る」という意味もある。
生い茂る草木の様子を表すときに、
「鬱蒼(うっそう)」と表現するように、
和の色では「蒼色」は緑系の色とされてきた。

夏の終わりに、両国国技館まで
大相撲を観に行った。
毎場所、テレビ観戦を楽しみにしていて
いつかは国技館で…と
強く願っていた観戦が実現したのだ。

しかと見届けたいと、
家にある一番よく見える双眼鏡を用意した。
緑色のその双眼鏡を見た友人が
「房と同じ色だ」と言う。

房?
と、きょとんとする私に、
友人が“房”について説明してくれた。

土俵の上に吊屋根があり、
その四隅、東西南北に
房が下げられている。
房は各方位を司る「四神」を表す。

その色も四神に由来し、
東は、青龍の青、
西は、白虎の白、
南は、朱雀の赤、
北は、玄武の黒、
となっている。

青龍の色は蒼色、つまり緑色だ。
青龍は蒼竜(そうりゅう)と言われることもある。

こうして四方位を神に護られた土俵で
神事である相撲が執り行われるのだ。

力士、行司の
ひとつ一つの美しい所作に
うっとりとする。
そして、いつもテレビで観ている力士が
目の前で躍動感たっぷりに取り組む姿に
興奮し、気づけば双眼鏡そっちのけで
声をあげていた。

ファンである力士の取り組み前に、
応援のパネルとともに声援を送ると、
ちらっと見てくれた気がした。
それが嬉しくて嬉しくて、
いつもより力をこめて応援した。

すると、見事、白星に!
喜びいっぱいバネル高くあげていると
また、ちらっと見てくれたように思われ
「あぁ、応援が届いた!!」と感激した。

それは、心の中にしか録画できない、
宝物のような一瞬。

勝敗に関わらず、
好きな力士を応援すること、
その声が届くこと、
それが、こんなにも嬉しいものなのかと
感動していた。

応援することは、相手のためだけでなく、
自分も楽しくなり、
勇気づけられたりもする。

応援したいと思う人がいてくれることは、
応援する自分の日々を彩り、
元気に楽しくしてくれるのだと
気づかされた。

それは友人も同じだ。
日々、なにげないことを話して、
常につながっているような気になりがちけれど、
実はそれぞれの胸の内にある
苦労や悩み、悲しみ、喜びの全て知っている
わけではない。
気づかず、後になって、大変な思いをしていたと
知って驚くこともある。

どんなにその人のことを大切に思っていても
何の力になれないことのほうが
多いのかもしれない。

無理に役立とうとしても
かえって迷惑になることもある。
そうわかっていても、心は寄り添いたい。

いい時も、そうでない時も、
ひっそりと応援しあいながら、
しみじみと互いを思い、
語り合う時を大切にしたいと思うのだ。

数年前に
フルマラソンで走る友だちを
仲良し数人で沿道で待って応援した。
遠くからもわかるように、
鬱蒼とした森のようなかつらをかぶって
待っていた。

見つけてくれた時の嬉しさといったら…。
青龍になって伴走していくような
喜びとファイトが湧いてきた。

応援することは、見守りながら、
強くありたいと気づかされること。
応援し、応援されて、朗らかに、
これからも続く青々とした道を歩いていきたい。

匂い立つころを過ぎても。

滅赤(けしあか)色は、灰色がかった赤色。
「滅」は、色味を渋く抑えたトーンを表す。

あたりが輝くような華やかさ、艶やかさを表すとき、
「匂い立つ」という言葉が使われる。

「匂う」という言葉は、
もともと「赤い色が鮮やかに表われる」の意味をもち、
香りよりも色を表す言葉だったのだ。

そんな匂い立つような色から、
鮮やかさ、華やかさを取り去り、
渋みのある色にするとき、
和の色では、
この「滅」の字を当てている。

先日、学生時代からの友人と会った。
三年ぶりの再会。

ネット時代はありがたく、
何年会わなくても、互いの姿も日々のことも、
きちんと更新されている。
昨日会った友人のように話のつづきができるのも
不思議で、愉快なことである。

彼女は三年前よりも、さらに進化して
ジャズを歌うひとになっている。
歌う苦労も喜びも、
ひろがり、深くなっているようだった。

彼女の音楽への
愛の深さについて聴きながら、
学生時代のことを思い出していた。

二十歳前の年末だった。
彼女の下宿で
仲のいい友だち数人と
一晩中語り明かして
そのままこたつで眠ったのだった。

翌朝、バイトのため私は
早く起きなければならなかった。
静かに起きたつもりが、
彼女はもう起きていて、
ギターを静かに弾いて
近づくライブの練習をしていた。

ポロン、ポロンと
やさしい音とともに
「またね」と見送ってくれた。

数日後、彼女の部屋を訪ねると、
空っぽになっていた。
実家から通うことになり、
部屋を引き払った、とのことで
にぎやかだった空間には、もう何もなかった。

楽しい時間はそこにあったのに、
大好きなお友達は引っ越してしまった。
そんな置いてきぼりされた子どものような
気持ちで、部屋をながめていた。
ぽっかりと穴があいたような寂しさで。

ポロン、ポロン…
あの日聴こえたギターの音は、
時に寂しく思い出され、
今は、やさしく懐かしく思い出す。

あの音ひとつひとつを、彼女は大切に抱き、
離さなかったから、今、また歌うひとになったのだろう。

歌う彼女の口紅は、匂い立つ赤。

あの日、またね、と別れてから、
それぞれに色々なことがあった。

消してしまいたいことも、
消えて欲しくないことも、
両手に抱えて。
たくさん得ては手放して、
出会って、別れて、
いくつかの選択のなかで
残ったものを大切に握りしめて
今の私たちになったのだ。

匂い立つものは、
やがて褪せていくのだろう。
私たちも、学生時代のような
眩しい若さは失せている。

けれど、「とき」という風にふかれ、
若さゆえの乱暴さがゆっくりと研磨されて、
目には見えない香りや、
やさしい色の空気になって、
時に誰かを包んでいるのではないだろうか。

彼女とわたし。
それぞれに違う道にいるけれど、
別々の目指す道のなかで、
自分らしい色を、
歌にして、言葉にして、
より多くの人に届けられるように。

また会う時が、楽しみだ。

名脇役な色。

「ボケ」というと
どんなイメージがあるだろう?

相手を罵るときに使う言葉。
漫才のボケとツッコミ。
ぼんやりしてるときのこと。

そんな、ちょっとユーモラスな
「ボケ」の名をいただいた色がある。

「惚色」と書いて、「ぼけいろ」。
語感は少し乱暴で、
好ましくない色にも思われるが、
「惚」とは「ほれる」の文字。
つまり、「惚れる色」なのだ。
そう思うと、
一気に好感度が上がる気がする。

色は淡く渋い赤。
くすんだはっきりしない色であり、
はげた色の総称ともされている。

季節が秋へと進んで、
自然の色も少しずつくすんだり、
色褪せたりして、
この惚色になりつつあるように見える。

春とは異なるやわらかさで
色も空気も、
夏からゆっくりと色を落とし、
空気を冷やして、季節が進んでいる。

「惚け(ぼけ)」というと、
「この子は、まぁようよう遊び惚(ほう)けて」
と、叱られたことを思い出す。

子どものころ、
いつまでも日が暮れない夏から、
知らぬ間に秋になり、
いつもの時間に帰ろうとすると、
辺りが真っ暗になってしまい心細かった。

外が暗くなると、当然、
帰るやいなや、両親に怒られる。

子どもの頃は、秋が嫌いだった。

しかし、大人になると、
秋は涼しく、心地良く、
食べ物はおいしくて、
街を歩くと、季節の色合いも豊かに
目を楽しませてくれる。

惚れ惚れするような秋の景色。
枯れてゆく樹々の葉もあるけれど、
ふと、さし色のような美しい色も見つかる。

あ、惚色とは、その色に惚(ほ)れたり、
惚(ほう)けたりするのではなく、
他の色をひきたてて、
心惹きつける…
そんな名脇役な色なのかもしれない。

この秋は、惚色のことも見逃さず
紅葉や銀杏の鮮やかな色を愉しもう。

それが、子ども時代には得られなかった
大人の愉しみのひとつ、と言えるかもしれない。

余白を愛する、くろ。

黒は同じようでいて、さまざまな色がある。

「玄(げん)」は、真っ黒一歩手前の、
明るさ、暖かみのある黒だ。

「玄」の意味を辞書でひくと
「赤黒い」「奥深くて暗い」とある。
「玄米」や「玄関」は、この意味からきているのだろうか。

この文字を見て、思い出される言葉がある。
「玄人(くろうと)」だ。

平安時代、白塗りしただけで芸のない遊芸人のことを
「白人(しろひと)」と呼んでいた。
それが江戸時代になって「しろうと」と変化し、
平凡さを軽蔑する意味も含む「素」の字を当てた
「素人」になったという。

そして、白塗りしただけの芸人の「白」に対して、
芸のある人を「黒」とし、
「素人」の対義語として生まれたのが「玄人」の言葉だった。
「玄」の字が選ばれたのは、「黒」よりも
奥深く深遠な趣き、意味があったからだとか。

もうひとつ、玄といえば思い出す言葉ある。
冬の別名、「玄冬(げんとう)」だ。

人生には、青春、朱夏、白秋、玄冬、という四季がある。
若き日の「青春」、多忙に燃える「朱夏」、
落ち着きの「白秋」をすぎて、
いよいよまとめの時、「玄冬」を迎える。

ここで現れる「玄」。
暗い冬。
人生の最後の季節で、
次世代にものごとを託して退いていく年代のことをいうらしい。
まさに人生の「玄人」になって、
「白秋」の人びとに任せて、
託して去ってゆく時のことなのかもしれない。

黒と白。
玄と素。
それぞれの存在があって、
それぞれのよさがひきたつ。

私の世代は「白秋」。
さまざまな経験を経て、白く澄んだ想いで
若い人たちのさまざまな色を活かしつつ、
先輩方から知恵や経験をうけとっていきたい。

人生は彩りにあふれている。
全ての色をうけとって、深遠な玄の色になりたい。
そのためにも、人生の実りの秋、
白秋の今、
まだまだやるべきことがある。