着けば都の駅はどこ?

土の香りがする静かな駅は、
しばらくそこに、
佇んでいたくなる。

青丹(あおに)の色は、
暗い黄緑色。
青丹の「青」は、緑色のことであり、
「丹」は土を意味する。

「青丹よし」は奈良の枕詞として
よく知られている。
「青丹」とは、
顔料である岩緑青の古名であり、
奈良はその産地でよく知られていることから
枕詞となったと言われている。

「青丹よし 奈良の都は 咲く花の
     にほふがごとく 今盛りなり」
この歌は、赴任先の太宰府から、
故郷の奈良の都を懐かしんで詠んだ歌と言う。

もう奈良には戻れないかもしれない…
そんな不安な想いから、
懐かしい故郷の美しさを
より一層恋しく想って詠んだのでは
ないかと言う説もある。

その説にしたがって読むと、
故郷の美しさを、誇らしく、
懐かしく想う心が悲しく、
華やかさよりも、寂しい色が
胸ににじんで広がる。

奈良ではないものの、
私にも自然の緑、土の香りに包まれた、
恋しい故郷がある。

都の華やかさはないけれど、
海は青く、土にぬくもりがあり、
四季折々の花が咲く、
「におうがごとく」の美しさだ。
今は遠く、そうそう帰れないのだけれど。

秩父鉄道の駅が、味わいがあっていいよ、
と、友人に聞き、訪れた。

自然に囲まれた駅は、
それぞれどこか懐かしさがあり、
秋の木枯らしの中でも、
あたたかな空気に満ちていた。

背景には、山や木々などの緑。
それは、この季節ならではの、
少し色褪せた緑、青丹の色だった。

ひと気のない寂しさと、漂う懐かしい気配に、
ベンチに腰かける。

ある駅では、
「駅は撮ってもいいけど、僕は撮らないでねー」
と、明るく声をかけられた。
別の駅では、
「無人駅に見えるかもしれませんが、そうではないんです」
と、写真を撮るのをじっと見守る駅員さんもおられた。

別に怒っているわけではなく、
問いかけると、淡々と応えてくださる。
写真を一枚、と、お願いすると、
姿勢を正して、ポーズをとられる。

…あぁ、こういうやりとりが、いいなぁ。

マスク越しでも、距離はとっても、
心の距離の近いやりとり。
来る人を気にかけ、声をかけ、見送る。

大きな駅では、一人一人になかなかこうはできないだろう。

誰かといっしょに、
誰かに会うために、
誰かから旅立つために、
駅に立つ。

ごく普通の日であれ、
特別な日であれ、
駅は、いつも乗り降りする人たちを
静かに迎え入れ、見送ってくれる。

後に残るのは、
山や木々に吸われる音と風。

私は、そういう駅から
旅立って来たのだ。

私が故郷を出たいと想ったのは、
見送る立場が嫌になったから。

都会に出てゆく人は、
ひととき帰ってきても、
また、知らない街へと出発し、
故郷を離れてゆく。

その人たちを見送り、
「ただいま」を待つことが
寂しくて嫌になったのだ。

そうして故郷を離れ、
今ではただいまを言うことも、
帰る家も無くなってしまった。

駅は「おかえり」の入り口。
懐かしい無人駅に降り立つと、
やはり、心の中で「ただいま」を言うのだろう。

あの駅は、今も、誰かの出発を
後押ししているだろうか。

静かな駅に座っていると、
遠い日の駅の思い出が次々と
よみがえる。

土の香りと色褪せた緑。
青丹は、私にとって
「おかえり」の色なのだ。

サクサク秋さんぽ。

散り敷かれた落ち葉を
踏むと、サクサクと
香ばしい音がした。

纁(そひ)は、
明るい赤橙色。

読みづらいこの名は
古代中国の茜染めからきている。
染める回数によって色名が変わり、
三回染めの名前が「纁(そひ)」だった。

「蘇比」と表記されることもある。
同じ色のはずなのだけれど、
こちらは、調べると
より黄色味の強い色が現れる。

紅葉し、刻々と変化して
豊かな色合いを持つ、
秋の色だなぁ…と思った。

「楓葉萩花秋索々」
という白楽天の詩がある。

「秋索々」。
この言葉を知ってから
落ち葉を踏み歩く時、
ふと頭に浮かぶようになった。

「索索」とは、
「さらさらかさかさ音のするさま」と、
「心の安らかでないさま」という意味がある。
索々、サクサク…。

秋の色をたずねながら、
落ち葉の絨毯の道を、
ゆっくりと歩く。

茜染めのような
濃淡さまざまな色合いは、
目に染みるように美しい。
秋の陽が、より一層その眩しさを増し、
何度も足を止めて眺めいる。

去年の秋は、
無言で、足早に歩き、
色づく葉を見上げるのも、
罪悪感を感じた。

時も歩みも、
止まったままのような日々が続いた。

この秋は、同じ止まるにしても、
ゆったりと景色を愉しむため。
そのことが、こんなにも嬉しい。

「索」には
「探し求める」と、
「なくなる」という意味がある。

紅葉を探して求めても、
季節が過ぎると、
色は褪せ、葉は落ちて、
やがてなくなる。

「秋索々」という言葉は、
刻々と変わる季節の表情、
秋の心もようも見せてくれる。

サクサク歩くと、
去年は見られなかったものが
たくさん見られた。

参道の茶屋で、
おみくじ付きのお団子はいかが?
と、声かけられる。

お陽さまの下で食べるお団子は
また格別!
と、モグモグ食べたら
食べ終えた串に「大吉」が出た。

団子屋さんに持って行ったら
「あら、大吉なのに持って帰らないの?」
と、言われた。
当たりもう一本!
ではなかったらしい。

久しぶりだから、
足腰が心配だ…と
石段を用心深く上がる人、
その背中に、そっと手を当てながら
「ほら、しっかり」と
笑顔で支える人たちの後ろ姿。

互いをスマホで撮りながら、
笑い合うカップル、
友だち、家族連れ。

去年は見られなかった光景、
聞こえなかった声だ。

「日常」とは
こんなに、朗らかなものだったのか…
と、改めて思う。

橋に人だかりがあり、
何の景色かと覗いてみると、
バンジージャンプを楽しむ人がいた。
広々とした自然に向かって
ダイブしながら、大声を出している。

見る人たちも、驚きながら
笑っている。

キョロキョロ、ニコニコ、
サクサクと、秋の道行きは
にこやかな発見に満ちている。

撮る写真は、
染め物のように、さまざまな色合いが
記録されてゆく。
私の茜染めだ。

折々の想いを込めて
染め上げられた布のような
紅葉のグラデーション。

「索」は、
もともと両手で糸を撚り合わせる形から
生まれた文字という。

たくさんの想いや願い、
人それぞれの時間に生まれた糸が
撚り合わされてできた眺めに思われた。

二年前の秋に訪れた、
平泉の高台から見た紅葉を思い出した。

また、旅したいなぁ。
ぽつり、つぶやく。

あたりの人たちのざわめきに、
同じ想いの声が聞こえた気がした。

秋めいて、あきらめる色。

山粧う秋の景色を
観に出かけた。
目に眩しい、盛りの紅葉を
捉えることはできなかったけれど、
色とりどりの秋の葉の美しさを堪能した。

黄丹(おうに)色は、
鮮やかな赤みの橙色。

「黄丹」は昇る朝日の色とされ
皇太子の位の色を表し、
儀式に着用する束帯装束の
袍(ほう)の色とされている。

平成から令和への
皇位継承儀式でも目にした
「絶対禁色」である。

この秋は、気楽にあちこちと
出かけられないこともあり、
ネットやテレビで
葉の色づき加減を確認して
出かけた。
けれど、慎重になりすぎたあまり、
早すぎたり、遅すぎたりして、
期待した色鮮やかな紅葉に、
うまく出会うことができなかった。

これも、今年らしい出来事かもしれない。
そう思いながら、目にする秋の葉を
愉しんだ。

秋の葉の色づきは、
好天ならば眩しく嬉しいものなのに、
雨の日や曇天になると、
うら淋しい眺めになる。

また桜のように一気に散ることなく
枯れたまま木の枝に残っている姿、
散り敷かれた落ち葉の褪せた色合いも、
間に合わなかった寂しさの色が
濃くなる気がする。

間に合わなかった…と
あきらめるしかないのだけれど。

秋のあきらめ。
と、思いながら、スマホを出して
「あきらめる」という言葉を検索してみた。

「あきらめる」は、
「諦める」と書き、
「仕方ないと断念したり、
 悪い状態を受け入れること」
という意味がある。

けれど、もうひとつ。
「明らめる」
と書く言葉があるのを知った。
この「あきらめる」は、
「明るくさせる」という意味。
まるで明暗逆のようなこの言葉を、
私は今まで知らなかった。

枯れそうになった葉が
ぽっと色づいたような、
花咲か爺ならぬ
明らめ婆の気分になった。

言葉ひとつで、目の前の世界の
色は変わる。

紅葉に間に合わなかった伊香保では、
遠くに雪をかぶった山が見えた。
冬が近づいている。

気がつくと、十一月も残りわずか。
黄丹色の袍に、いにしえの時を想う
皇室行事を見ることのできた
令和二年。
ざわざわとして、ひと月ひと月が
表面をなで走るように過ぎていった気もする。

それでも、この一年の日々で
令和という新しい元号が
ゆっくりと、身に、心に馴染んだ気がする。

コロナだ、自粛だ、新生活だ、と、
馴れないこともあったけれど、
心をならし、ざわめきを抑えながら
それらとも共に暮らすよう
自分なりに努めてきたと思う。

紅葉を眺めていると、
ぽとり、ぽとり、と葉が散り落ちる音が
聞こえてきた。

木の葉が盛んの落ちるのを
時雨にたとえた、
「木の葉時雨(しぐれ)」
という季語がある。

木を、土を慈しむ、優しい雨が、
秋の名残りを知らせる葉書のように
落ちてゆく。
古い葉を落として、土にかえり、
栄養になって、新しい命を育む準備が
もう始まっている。

物言わぬ自然が、
その姿で、あり方で、今やっていることに
何ひとつ無駄はないのだと、励ましてくれる。

焦るな、焦るな、と、
自然はおおらかに包み込んでくれる。
諦めないで、明らめながら、
この秋の道を進んでいこう。

いと・ころーるを求めて。

秩父銘仙館へ行った。
これまで着物は色々
見てきたつもりでいたけれど、
銘仙という織物は、
ちゃんと見たことがなかった。

銘仙が作られる工程、道具の
展示を見てまわる。
大正から昭和初期の意匠も
たくさん見られ、レトロな気分に浸った。

あれこれと違いはありながらも、
気がつけば、そこに
丹後ちりめんの作られる工程を
重ねて見ていた。

私は「機(はた)屋の娘」だった。
父は糸の整経をし、
母が主に機を織っていた。

私にも家業の手伝いがいくつかあった。
束ねられ、固い紙に包まれた
絹糸の荷をほどくこと。
杼(ひ)に入れる緯糸を巻く管巻き。
縦糸を整経するための糸の配置。
織物業の家ならではの、
子どもの仕事だった。

自分の記憶の中でも、
もう薄ぼんやりとなっていたそれらの作業を、
展示を見ながら、
生き生きと思い出していた。

丹後ちりめんは、銘仙と異なり、
白生地を織る。
なので、色のついた糸を見ると、
「ちがう、これじゃない」
…そう思うのだけれど、
管巻きの機械や整経機を見ると、
懐かしかった。

糸、織物に関わるものは
すべて慕わしいのだと気づく。

銘仙館の中には、藍染のために
藍が建ててあった。
全く別のものではあるのだけれど、
我が家では土間に大きな桶を置いて
糸が染料につけられていたのを
思い出した。
夏は、水が腐ったような臭いがして
嫌だった。
糸が全体に浸かるように作業する
父の爪は、藍染の職人のように
青く染まっていた。

母が織ったちりめん。
それらを収納されていたロッカーを
開けると、ごわついた絹織物独特の匂いがした。

織機の縦糸も懐かしい。
銘仙は縦糸が1300~1600本ほど。
一方、丹後ちりめんは3800本ほどあるという。

この経糸を新しいロールの糸に
交換するときに、古い糸と継ぐ作業がある。
実家では、この手作業をする人を
「経継ぎ(たてつなぎ)さん」と呼んでいた。

機(はた)を止めたあとに、たてつなぎさんは
二人一組でやってきて、夜遅くまでの作業にかかる。

電気を消した暗い工場に、
作業中の機のところだけ電気がついている。
二人のおばさんが
静かに話しながら、手を休めることなく
糸を一本、一本つないでいく。

夜九時過ぎにお茶菓子を持っていく。
蛍光灯の下、白い絹糸が反射して、
おばさんたちのいるところだけ、
パーッと光るように見えた。

二、三時間ほどかかっただろうか。
深夜になって、作業の終わりを告げて
たてつなぎさんは静かに帰られる。
「おおきにぃ」とお礼を言って、
工場の電気を消す。

真っ暗な中でも、
繋がれた糸は、まだ白く光っているように見えた。

色とりどりの銘仙を見ながら、
白く光るような糸や、ちりめんを思い出していた。

結局、着物を着こなすこともできず、
和装と関わりのない暮らしの中でも、
白い絹糸は、自分の中に存在していると
改めて思った。

染められた糸は、自分の中にはなく、
ただ白い糸だけが流れている。
そして、見た色、出会った色を
その糸に着色し、名前を見つけ、
言葉にしてきたのだった。

それは、絹のように
しなやかで光沢のあるものなのか、
木綿のように素朴で強いものであるか。
まだ、私にもわからない。

いと、と、いろ(ころーる)。
これからも見えない糸に導かれ、
出会うものを撮り、言葉を紡いでいこう。

白い糸で結ばれた縁を
大切に結び、
私の目で、想いで、
好きな色に染めていくのだ。

染めて、守って、引き継ぐ色。

山形の秋は、関東よりも早く進んでいて、
吹く風は、キリリと冷たかった。

代赭色(たいしゃいろ)は、
黄色みの強い赤褐色。
「代」は、赤土の名産地、中国代州の地名から、
「赭」は、赤いものを意味する。

朝早いバスで山形に着いて、
まず訪れたのは旧県庁舎である「文翔館」。
復原された大正の洋風建築だ。
じっくりと見て回り、帰ろうとしたところ
「ガイドはいりませんか? 」。
と、矍鑠としたボランティアガイドの紳士に声かけられた。

見せたいもの、知ってほしいことが
この建物の中にはいっぱいあります、とのこと。
その明るさに、ワクワクするものを感じて、
もう一度見て回ることにした。

まず、一旦外に出て、その地形から
山形の歴史、街づくりの経緯を熱く語られる。
ほんのりとお国言葉が聞き取れて、
この地に来た嬉しさがこみ上げる。

建物内に入り、
施された装飾の意味、
復原に当たっての苦労について聞く。
触ることがためらわれた、
古い変わり窓なども全て開けて、
つくりについて説明してもらった。

建物に使われている煉瓦、
室内の暖炉、寄木貼り、家具。
そして、窓の外の木々の葉も枯れて、
秋らしい代赭色にあふれていた。
暖房もついていないのに、
どこか暖かい。
まるで代赭色に染める鍋に
放り込まれた気分になっていた。

ある部屋に山形の川に浮かぶ船の絵が飾られていた。
それを見て、
川が街の発展にどれほど大切だったかという話と、
ガイドさんの子供時代の川遊びの話を聞いた。
とてもおおらかで、楽しい話だった。

それは、
この建物でかつて働いていた高等官たちと
市井に生きる人たちと、
共に同じ山形という地で生きた人たちの話。

一人で来ていたら見ることもなく、
知らずに帰っていたエピソードまで聞けて、
驚いたり感心したりのひとときだった。

ちょうどお昼になり、別の場所に行きます、
というと、地図を出して、観光案内よろしく
あちこちの見どころを教えてくれた。
お昼は、ここがとってもおいしいです、と
うまいもの情報も。

また来てね、と
見送ってくれた笑顔は、郷土愛にあふれていて、
とても爽やかに、旅する背中をポン! と
押された心持ちになった。

その街にずっと暮らし、その街を愛し、
来る人を歓迎し、見送ること。
それを続けていく。

どんな大きな建物も、時が経てば、
少しずつ傷み、朽ち、弱っていく。
だから、丁寧に手入れし、守り、愛していくこと。
それを続けていく。

続けていく人間だって、時が経つと
老いて、弱り、いつか消えていく。
だから、伝える、愛情を育む。
そうすることで建物、文化、郷土愛は、
受け継がれ、守られていくのだろう。

ガイドさんが教えてくれたのは、
山形の文化であり、ご自身の郷土愛であり、
続けていこうとする情熱なのかな…
そんな気がした。

たくさん笑った後、冷たい風の中でも
頬がホカホカと熱く、火照っていた。
きっと、代赭色に染められたのだろう。

ところで、帰りに聞いたおいしいもの情報。
勧められたお蕎麦屋さんで、
あぁ、おいしかった! と、
満足し、改めて箸の袋を見ると、
なんと、おそわった店ではなかった。

あらら。と、思ったが、もう満腹。
また、山形に来なくては、と思った。

景色に染まる、まぶしい色。

いつか行きたい…
そう思っていた場所に行く。
その喜びが大きいと、つい、
羽目を外してしまうことがある。

雪色(せっしょく)は、
雪の色、雪のような白い色。
とはいえ、単純な白でなく、
紫や紅みがかったりして、
様々な色に見える色だという。

十一月の山形で、
雪を見るとは思わなかった。

目指したのは、蔵王。
小説「錦繍」の冒頭
「前略 蔵王のダリア園から、
 ドッコ沼に登るゴンドラ・リフトの中で、
 まさかあなたと再会するなんて、
 本当に想像すらできないことでした」
という美しい文章に心惹かれて、
いつかそのゴンドラリフトに乗ってみたい
とずっと思っていた。

たとえ、紅葉のシーズンを過ぎていたとしても。

そうして、たどり着いたものの、
「運休中」の看板。
ショックだけれど、落ち込んでいる時間はなく、
すぐに別のロープウェイ乗り場に向かった。

蔵王のロープウェイに乗れればいい。
そう思って、乗り込んだ。

紅葉の時期は過ぎているのに、
朝9時発のロープウェイは満員だった。
あまりに賑やか過ぎて、乗り継ぎの便は
少しあたりを散歩してから乗ることにした。

そして、見上げた行き先に驚いた。
なんと白く凍った木々茂る山だった。

旅に出る前、見るとはなく見たガイドブックに
「蔵王の樹氷」という文字を見たのを思い出した。

まさか、そこに行くことになるとは思いもしなかった。

麓から見ると、白く凍ったように見えた山頂も
近くで見ると、着氷したばかりのようで
太陽の光を浴びて、ぽとぽとと雫を落としている。

美しい!
青空の色や、山の緑が透けて見える雪色が、
ほのかに色を変えながら輝いていた。
雫がダイヤモンドのように光る瞬間もあった。

思いがけない出会いに興奮して、
さらに高く登って見たら、
どんな景色が見えるだろう…。
その好奇心が抑えられなくなった。

そこに、山を撮りに来たと思われる装備で、
熊よけの鈴をつけた壮年の男性が、
展望台のような小さな山に向かって登って行く姿を見た。
よし! と、勝手について行くことにした。

晴れて日が差し、樹氷が溶けて来て
道がぬかるんでいる。
これは、スニーカーの私には無理だったか。
少し焦ったが、
「慎重に、ゆっくりと」と、唱えながら登った。
20分ほどで三宝荒神山の山頂についた。
やはり、来てよかった!
という素晴らしい眺め。

鈴をつけた男性も、あちこち移動しながら
シャッターを切っている。
思い切って「月山はどこですか?」
と、訊いてみた。
「今日は雲が出ていて見えないね」との答え。

そうか、雲の向こうか…。
今回の旅では会えないのか…と、
名残惜しく眺めていたら、その男性は
足取りも軽く降りて行った。

山頂でのんびりしていたら、
晴れて気温が上がり、氷が溶けて
ぬかるみがさらにひどくなっている。

樹氷に覆われたこの山に登る人は少なく、
これは、転んだら誰にも気づいてもらえない。
そう思って、登りよりも慎重に歩を進めた。
それでも、何度か
ぬかるみに足を取られそうになった。

旅先の自然は、いつも予想以上に美しくして、
「あなたが来ようと思うなら、
 その時、一番美しい景色を見せてあげましょう」
そう言ってくれている気がする。

でも、その優しさに調子にのってはいけないのだ。

美しさも怖さも、
まさか出会うとは思いもしていなかったところに
ポッと現れる、襲いかかる。

自然の中では、本当に怖いと思った時は、
すでに遅い。
という言葉を思い出していた。

旅はたくさんのことを知り、学ぶ場では
あるけれど、人に迷惑をかけてはいけない。
旅の出会いは、楽しくなければ。

そう反省しながら、帰りのロープウェイの
乗り口に、やっとの思いでたどり着くと、
数名の救急隊員が
駆け上っていくのに遭遇した。

下山した駐車場には救急車、
担架で救出に迎おうとする隊員が数人集まっていて、
不穏な空気に包まれていた。

どうか無事に救出されますように…。
反省の思いが、人ごととは思えず
心の中で祈りとなった。

美しい景色を見せてくれた蔵王を振り返り、
感謝しながら、「錦繍」という小説は、
生きて、出会うことの喜びを教えてくれたのだった
と、思い出していた。
また、読み返そう。
そして、
次に来る時のために、登山靴を買おうと思った。

秋。眠かった時間に導かれ。

紅葉色(もみじいろ)。
晩秋に色づく楓の鮮やかな赤色。

ずっと行きたいと思っていた
岩手県の平泉へ行った。
早朝に平泉の駅に着き、
まだ誰も歩いていない街を歩いた。

案内版が見つからず、
途中、洗濯物を干すおじさんに道を訊くと、
「何もない跡地にがっかりしないで。
 “夢の跡”だからね。」
と、土地の訛りの混じった
優しい言葉で教えてくれた。

高館から北上川を眼下に見た後、
中尊寺に行く。
広い境内を、のんびりと歩きながら、
この平泉、中尊寺の名前を初めて知った
中学時代のことを思い出していた。

中学三年の時だったか、
好きだった国語の先生が、妊娠中の体調不良により
長期休職されることになった。
いつも明るく元気な先生の代わりに
H先生という若い女性教諭が来られた。

H先生は、初めて教室に入って来た時から
不機嫌そうな表情だった。
眉間にシワを寄せて、決して笑わない。
男子がふざけて話しかけても、「静かに!」と、
言って淡々と授業を進めた。

余談が多くて、笑うことの多かったそれまでの
国語の授業と比べると、つまらなかった。
ちょうど、その時に「おくのほそ道」の
授業で、来る日も来る日も、全員で音読させられた。

あくびをかみ殺して、ウトウトとしながら、
心ここにあらずで読んでいた。
音読よりも、これにまつわる面白い話を
聞かせてくれればいいのに…と不満だった。

H先生は、授業中はもちろん、廊下で出会っても、
いつも怒ったような顔をしていた。
話しかけづらく、苦手だった。
だから、余計に授業がつまらなかった。

けれど、実際に中尊寺を歩いてみると、
あの日、何度も何度も音読させられた文が、
胸に鮮やかに蘇ってくるのに驚いた。

経堂、金色堂へと向かう途中、
太陽を背に受けて、現れた自分の影が、
音読に飽き飽きしている中学生の自分の姿に
見えて、一人笑いを浮かべていた。

初めて来たのに、懐かしい。
そう思えたのは、あの日のH先生の
教えのおかげだったのだ。

笑わないH先生だったけれど、
ある日、男子の珍回答に
ふっ…と一瞬笑って、
すぐに表情を厳しくしているのを
見たことがあった。

あ、笑うんだ。
笑顔、美人なのになぁ。
そう思ったのを覚えている。

まだ青さの残る楓の葉の中の赤い色。
紅葉色。
これは、あの日の教室のH先生の色。

今思えば、H先生は、
体は大きくても、
心も知識もまだ青い生徒たちに、
舐められないよう、
授業をきちんと進められるよう
孤軍奮闘されていたのだろう。

受験を控えた中学生に、
きちんと知識を与えること、
授業を全うすることは、
一人、血が逆流するような怒りや
不安や苦労があったことだろう。

金色堂は、教科書で読んで想像したよりも、
ずっと煌びやかで、豪華で、
素晴らしいものだった。

忘れたと思っていたけれど、
あの日の暗誦した文や、記憶は、
美しいまま残っていて、
ここに導いてくれた。

「五月雨の降り残してや光堂」

まるで光のような記憶。
汚されず、朽ちず、
美しいまま心に残った景色、文。
名前も忘れてしまった先生だけれど、
心の中で、感謝を述べた。

暗い堂内を出て、
改めて眺める金色堂。

見えていなかったことが
光を得たように見えた喜びがあった。
その背景には紅葉色。
秋に来たことを忘れないで、と燃えていた。

見える色、見えない色。

「どんな薄い紙にも、表と裏がある」。
父は酒に酔うと、よくそう言った。

裏色は、深く渋い青色。
江戸時代中頃より、
夜具や衣服の裏地に使われる色ということから
この名がついたのだという。

先日、紅葉狩りに出かけた折に、
遠くに眺める山々がこの色だった。
人の目を惹く鮮やかな紅葉を表色とするなら、
これは裏色かな?
と、やわらかな稜線を描く裏色の景色を愉しんだ。

四季折々に木々の色は変わるけれど、
勝手に裏色と決めた、
濃淡美しい遠い山々の景色は、
鮮やかさこそないけれど、
やさしく懐かしい色合いだった。

小学一年の時、書き初め展に
応募したことがある。
出品作は、
ザラザラとにじんだ文字になってしまい、
参加賞で返ってきた。
「これは紙のウラですよ」と
達筆な朱い文字で書かれたコメント。
父の言う通り、
薄い紙にも確かに表裏があることを学んだのだった。

紙業を生業にしていたわけではないのに、
父はなぜ、あんなにも紙の表裏について話していたのだろう。

自営業だった父には、
公私共に仲良くつきあう人がいた。
とりわけ剽軽なAさんのことは、
楽しい友人として信頼し、
会う時間を楽しみにしていたようだった。

その日も、仕事の話が終わった後、
母も私も同席して、
Aさんの身振り手振りを加えた楽しい話に
大笑いしていた。
いつもいつも大笑いさせられることに、
母がポロリと
「Aさんには苦がないみたい」
と言った時だった。
一瞬、普段見せたことのない暗い色が
Aさんの表情に差すのを見た。

Aさんが帰った後、父が
「ああ見えて、色々悩んだり、気を遣っとるんだ。
 あんなこと言うてやるな」
と母を戒めた。

その後、父が急逝し、事業の片付けの折に、
Aさんとは色々あって関係がこじれてしまい、
疎遠になってしまった。

私は、そんな風になってしまったことに、
あの日の母の言葉が、Aさんの心の
とても敏感な部分に突き刺さったことも
一つの要因ではなかったかと思っている。

誰にでも見せる表の色と、
ひっそりと隠し持っている裏の色。
見せなくても、そんな色があることを知って、
その人に接することと、知ろうともせずに
つきあうとでは、関わりに大きな違いがある。

父は、紙にたとえてそんなことも教えてくれていたのでは
ないかと思う。

人の裏側を見抜くことは難しい。
裏側ばかり見ようとするのも、はしたない。
けれど、「ある」と知っておくこと。
そうすれば表面だけで決めつけたり、
過信したり、貶めたりすることなく、
人付き合いを、深く味わいのあるものに
するような気がする。

山の裏側というものがあるのかどうか
知らないけれど、あると思うと、
景色も厚みが感じられる。
見えない景色に思いを馳せられる。

限りなく広がっていく山々の眺めは、
見えない人の心であり、
未知なる繋がりであり、
まだ見ぬ未来の景色でもある。

裏色という色の存在は、
目に見えない色を思うことの
難しさと楽しさを教えて、
どこまでも広がっている。

紅葉狩り。見るのは、何色?

錦色(きんしょく)は、
錦のような美しい色。

「錦」とは、
色や模様の美しいもの。
様々な色糸を用いられた織物のこと。

こうした意味から、
錦絵、錦鯉、など
鮮やかで美しいものの名に
「錦」の文字がつけられることもある。

この時期、
「錦秋の景色へ」という
旅のパンフレットをよく見かける。

錦のように色とりどりの紅葉の世界へ、
という意味なのだろうけれど、
私はいつも胸の内で、この「錦秋」を
「錦繍」という文字に変換する。

そうすると、えも言われぬ
鮮やかな景色が心に広がるのだ。

「錦繍(きんしゅう)」とは、
美しい織物。
美しい紅葉や花をたとえていう
意味だ。

こんなに美しい言葉を、
私は三十過ぎまで、
知らなかった。

知ることができたのは、
宮本輝さんの小説「錦繍」を
読んだから。

読めば数ページで、
眩しいほど鮮やかな、
紅葉のグラデーションが、
美しい帯をポーンとなげられたように
心に広がった。

物語は、過去に傷つき、それでも
懸命に生きてく人たちの美しさが
描かれていた。
まさに錦繍に織り込まれれた糸のように
心に響く言葉が散りばめられて。

当時、三十年余りしか生きていない私にも、
主人公の迷い苦しみながら
光を見ようとする姿に深く感銘を受け、
この先、
どんなことがあっても、
自分の人生を、美しい錦の織物のように
したい、するのだ。
そう決意させられた、素晴らしい作品だった。

あの時、あの選択をしなかったら…。
そうすれば、あんな失敗はしなかった…
もっと、いい人生になっていたかもしれない、

悔やむことがある。

けれど、今の自分は、
積み重ねてきた選択でできていて、
それは、そうせざるを得ない
何か、心の癖だとか
あるいは運命的なもので
導かれているのかもしれない。

出会うものは、
避けようとしても
自分の力では避けることができず、
結局出会ってしまう。

だから。
失敗をどう捉えるのか。
失敗のあと、どう行動したらいいのか。
そう考えるところに、私らしい生き方が
あるように思ったのだ。

よりよく生きたい。
どんなに暗く濁った色が混じったとしても、
全体を眺めた時に、
その暗い色をも呑み込んで、
鮮やかな美しい色を活かす織物にしよう。

それが「錦繍」だ。

そんな考えに導かれた小説だった。

それまで紅葉狩りに
あまり興味がなかったが、
「錦繍」という言葉を知ってから
枯れてゆく前に
命の炎のように燃える紅葉を、
美しいなぁと眺めるようになった。

そして、いつもしみじみと思い出すのは
宮本輝さんのエッセイ「錦繍の日々」の一説だ。

「どの時期、どの地、どの境遇を問わず、
人々はみな錦繍の日々を生きている」。

この言葉を思い出すたびに、
これまで出会ってきた様々な人たちの顔が
浮かび上がってくる。
懐かしさや、嬉しさ、時に悲しさ…
様々な感情に目を閉じてしまう。

目を閉じても、目を開けても
広がるのは錦繍の景色。

人生の秋を迎える今、
その彩りを慈しむように、
眺められるようなりたい。

紅葉は終わっても、
私の錦繍の日々は続いていく。

今年の落葉は、どんな色?

朽葉(くちば)色。
木々が落とす葉の色、
くすんだ赤みがかった黄色をさす。

枯れ葉から落葉へ。
落葉から朽葉へ。

そんな葉の移り変わりにも
目を向け、心を傾けて、
もののあわれを感じ、
王朝人がつけた伝統名、朽葉(くちば)色。

ひとくちに「朽葉色」といっても、
赤みが強いと「赤朽葉」、
黄色みが強いと「黄朽葉」、
このほかにも「青朽葉」もある。
その微妙な色の違い、種類の多さは、
「朽葉四十八色」と呼ばれるほど。

枯れ葉となっても
赤、青、黄色、
自らの色みを
残しつつ散るのだろうか。

そして、人も、
「自分の色」をとどめながら
朽ちていくのだろうか。

自分の色とは、どんな色だろう。
経験から、環境から、そして感情から
澄んだり、濁ったりしながら、
何色かにたどりつくのだと思いたい。

風に舞う落葉を見て思うのは、
「今年の落葉は、今年だけのもの」。

ならば、自分も今年だけの色があり
それが地層のように重なって、
独自の色が、ゆっくりと
にじみ出てくるのではないか…
そんなことを思った。

うまくいったこと、いかなかったこと。
喜び、悲しみだけでなく、
自分への怒り、苛立ち。
他人に向けられた濁った感情。
そのすべてが、枯れて、朽ちて、
自分の過去に重なり、土に還るように
「今年の自分」として、ひとつの層になる。

それが、どんなものであれ、
時の流れとともに、自分の心を培う
腐葉土になってくれればいいな、と思う。
それは、願いといってもいいかもしれない。

今はまだ、熱気のなかにいて
枯れるのを惜しんでいる
今年のわたしの葉。
それでも、暦に従い、
必ず枯れる今年の葉。

やがて、ながめたときに、
あの時の朽葉があったから、
今の幸福な自分がいる。
そう思えるように努めていこう。

朽葉色に染められる道を歩く。
かさこそと音がするのは、
今年もたくさんの葉に、
たくさんの日々に、
包まれていた証。
そう思うと、確かな手応えのようで
あたたかく力づけられる。