空っぽの木に咲く想い出の色。

卯の花色(うのはないろ)は、
空木(うつぎ)に咲く花、“卯の花”の色。
古くから、雪や白波にもたとえられてきた白をさす。

先日、骨折して入院した母を見舞い、
しばらく母の部屋で過ごした。
電話では元気そうだった母も、
最近は、思うように動けなかったのか、
部屋のあちこちにほこりが積もっていた。

食器棚を開けると、ころんだ時に折れた前歯が
大切に紙に包んでしまわれていた。
それを見て、
幼い時に歯医者さんで
診察を受けた日のことを思い出した。

いくつだったのか記憶にないけれど、
その日、恐怖に泣く私の治療中、
母が痛いくらい
力強く手を握ってくれていたのを覚えている。

いつも家族を心配して、怒って、
笑って、ちょっと毒舌だった母が、
今は、たよりなく病室のベッドで
天井を見て溜息をついているのは、
見ていて、どこか切なかった。

帰る日に、じゃあまた来るね、
と、手を握ったら、
いつのまにか細く小さくなった手は
私が握る手の力に、
弱々しく返してくれることしか
できなくなっていた。

月日は知らぬ間に、流れていた。

胸の奥にチクリと痛む切なさを抱えたまま、
次の場所へと移動して、
きっとぼんやりしていたのだろう。
思い切り前のめりに転んでしまい、
したたか顔をうちつけて
前歯が欠けてしまった。

ギザギザに欠けた歯を
舌で確かめると、
失くした痛みを
思い知らされるような
ざらつきがあった。

一本まるごと失くしたわけではないのに、
小さな一部分が欠けただけで、
心にも体にも痛みが襲ってきた。

卯の花は、小さな白い花が枝いっぱいに咲き、
夏の花ながら、雪のように見えるのだという。

たっぷりと白で覆われるその光景は、
健康な白い歯がのぞく口元にも似ている気がする。
それは、若くて元気だった父や母がいた頃の
私たち家族の姿にも重なる。

その後、私の歯は治療して、
元の形に戻った。
けれど、あまり固いものを食べてはいけませんよ、
と医師からアドバイスを受けた。
見た目は同じに見えても、
もう欠ける前の歯ではない。

母も、少しずつ老いてゆく。
何もかも、月日を重ねれば、
元の通りになるものはない。

卯の花の咲く空木(うつぎ)は、
枝の内部が空(から)であることから
「空ろな木=空木」と名付けられたいう。

母のいない母の部屋は、
物はあっても空っぽの空木のように感じられた。

そんな空っぽに感じられた部屋も、
片づけていると、
棚いっぱいのアルバムがあるのを見つけた。
母の子ども時代から、私たち家族の想い出まで
長く愛しい時間がぎっしりと詰まっていた。

そうだ、人は、生きる限り、
空(から)になんかならない。
今の気持ちも、いつか家族の想い出となって
力を与えてくれる。
そう思って、卯の花色の母のシーツを
お日様に干したのだった。