いつか見た白、見たい白。

「白梅にあくる夜ばかりとなりにけり」
梅の花を見て、
この句の光景を思った。
与謝蕪村、辞世の句だ。

鉛白(えんぱく)は、鉛から作られた白い粉の色。
古代から白色顔料として用いられた。
人間の美肌の色として、とても美しく見えるため
ルノワールも女性の肌を描くのに使用したという。

そんな人の心を惹きつける色なのに、
小さな鉛がポトンポトンと
重く響いて落ちる色にも見える。

おひさまが白く眩しい、
小学校低学年の春休み、
遠方に住む母の妹、M子おばさんが、
私より五つ年下の息子Hちゃんを連れてやってきた。
M子おばさんは離婚したばかりだった。

長い滞在だった。
父方と母方の親戚は仲が悪く、
父は不機嫌だった。
ある日、
父の妹家族がうちに来ることになり、
急いで、M子おばさんとHちゃんと私の三人で、
映画に行くように命じられた。

父は、妹家族が来るのにM子おばさんがいては
具合が悪いと思ったらしい。

汽車に乗って二駅先の映画館。
時間も中途半端で、興味もない
字幕つきの映画だった。
まだ、字幕が読めない私とHちゃんは、
何て言ってるの? と何回もM子おばさんに訊き、
「いいから黙って観てなさい」と叱られた。

Hちゃんは飽きて、
「帰りたい」と言い出した。
仕方なく、貸切のような映画館の中を
追いかけっこしたり、お菓子を買ってもらったりして
時間をつぶしたが、私だって帰りたかった。

閉館時間になり、M子おばさんは家に電話する。
…まだ帰ってきたら、あかんのやって。
不機嫌そうに私に言う。
夜も深まり、眠い、帰りたいと
駄々をこねるHちゃんと
辺りをぐるぐると歩いた。

私もくたびれてきて、言葉も尖り、
甘えるHちゃんに冷たく当たってしまった。
すると、M子おばさんが
「あんたはお父ちゃんもお母ちゃんもおるし、
 この子の気持ちなんか、わからへんやろなぁ」
と、寂しそうに言った。

帰れない三人で
電話ボックスの近くに座り込んで
空を見上げた。
星なのか、梅だったのか、
白いポツポツとした美しいものを見た記憶がある。

早くに親を亡くした父は、
妹に対して親のような想いでいたのだろう。
両親健在の母にその気持ちはわかるまいと
思っていたようだ。

母は、いつまでも妹に心が向き、
自分を見てくれない妻の気持ちが
わかるまいと思っていたのだろう。

父や母だけでなく、
M子おばさんも私もHちゃんも、
みんな、何かが足りなくて、
それをわかってもらえない寂しさを
抱えていたのではないだろうか。

数年前、その映画館の辺りを歩いてみた。
すっかり様子が変わっていて、
あの日、座り込んでいた電話ボックスもなくなっていた。
あれもない、これもなくなった…と
歩いていくと、
昔、存在すら知らなかった川や神社を見つけた。

ないものばかりに捉われていると、
見逃してしまうものがある。

鉛白は、美しい白さを作る鉛ゆえの
毒性を持つ。

自分の手にできなかったものは、
白く美しく輝いて見える。
毒があるとしても、手に入れたくなる魅力があるのだ。
白い梅に、そんな魔力を感じて、少し恐れを抱く。

遠い日に、星か、梅かと思った
白い煌めきを思う。
それは、蕪村がこの世を去るときに
詠んだ白い梅の美しさに近い気がする。

蕪村は晩年、若き芸妓との恋を
弟子たちに咎められ、別れることとなった。
けれど、寂しさも、恋心も、
人の心に咲くものは誰にも止められない。

ポツポツと咲く梅の花は、
静かで可憐。
人生の秘密を知っていて、
また春が来たよと、
微笑むように咲いている。