甘くて苦い、メダルの色は?

参加賞、そして、
金の紙に包まれたコインチョコレート。
私がもらったことのある金メダルは、
これだけだ。

金色(こんじき)は、
黄金のように輝きのある黄色。
神聖な天上世界を象徴する色であり、
富や権勢の印としても用いられる、華やかな色だ。

小学一年生のとき、
ニワトリを描いた絵で賞をいただいたことがある。

朝礼の時、全校生徒の前で
表彰された。
…といっても、事前に知らされておらず、
当日は風邪で欠席していた。

夕方、近所の同級生が
表彰状と銀色のメダルを持ってきてくれた。
壇上で校長先生が私の名を呼ばれたとき、
クラスメイトが
「休み~っ!」
と叫んで、終わった。
と聞かされ、とても悔しかった。

風邪が治って、登校すると、
担任の先生から、
「せっかくの晴れ舞台だったのに、残念やったね」
と声かけられ、
同級生からも少し冷やかされた。
照れつつもとても嬉しかった。

また、賞をもらいたい。
今度こそ、みんなの前で
校長先生から表彰されたい…。

小さな欲が生まれた瞬間だった。

図工の時間には、
何とか「うまい」と言われたいと、
人と違うことをしたみたり、
本やテレビで見て、気に入った
作品をマネてみたりした。

我ながらうまく描けた…!
というものもあったけれど、
校内の廊下に貼られるくらいで
賞をいただくまでに至らなかった。

今度こそ! 今度こそ!
と思うのは私だけで、
二度と表彰されることはなかった。

勉強もだめ、運動はもっとだめで
さえない毎日を送る自分に
「これこそは!」と思った絵は、
ビギナーズラックで、
たまたま万馬券を当てたかのように
その後はハズレばかりの学生生活だった。

才能がなかったのが一番の原因だ。
でも、ダメだった本当の理由は
別にあった。

ほめられたい、賞をもらいたい
と、そればかりで
周りの人と違う作品にすることに
夢中になりすぎて、大切なことを
見失っていたのだ。

表彰状をもらった日から、もう何十年と経ち、
写真を撮るようになって、
それがわかった。

目の前にあるものを、じっくり見る。
出会えたことに感謝して、
その瞬間をいただく。
無理矢理見ようとしたり、
作り上げたりしない。

ウケることに心捉われ、
他人の反応ばかり気にしていては、
とりこぼしてしまうものがある。
実力以上にうまく見せようとしても、
自分の心に響かない。

自分がつまらないものが
見る人をワクワクなんかさせないのだ。

出会えて、楽しい…!
そんな輝くような喜びを得ることができた時、
何かが動く。

水面で弾ける光、
ライトの下で居並ぶ憧れのオールドカメラ、
旅先で、出会った銅像…
どれもキラキラと輝いて見える。

ときめいて辺りを見渡せば、
世界は煌びやかな金色で満ちているのだ!

金のメダルをもらうことなく、
その形のチョコレートをよく買っていたからか、
テレビで金メダルを噛む仕草を見ると
口の中に甘い香りとかみごたえが蘇る。

大好きだった金色の包み紙のチョコレート。
おいしくて、特別で、ワクワクさせてくれた。
本物ではなくても、嬉しい、楽しい…
そんな気持ちにしてくれるお菓子。

いつか心から好きだと思える一枚が撮れた時に、
自分に贈ろう。
誰にもほめられない、金メダル。

そこに映る私の顔は
きっと喜びに輝いてる。

紅葉狩り。見るのは、何色?

錦色(きんしょく)は、
錦のような美しい色。

「錦」とは、
色や模様の美しいもの。
様々な色糸を用いられた織物のこと。

こうした意味から、
錦絵、錦鯉、など
鮮やかで美しいものの名に
「錦」の文字がつけられることもある。

この時期、
「錦秋の景色へ」という
旅のパンフレットをよく見かける。

錦のように色とりどりの紅葉の世界へ、
という意味なのだろうけれど、
私はいつも胸の内で、この「錦秋」を
「錦繍」という文字に変換する。

そうすると、えも言われぬ
鮮やかな景色が心に広がるのだ。

「錦繍(きんしゅう)」とは、
美しい織物。
美しい紅葉や花をたとえていう
意味だ。

こんなに美しい言葉を、
私は三十過ぎまで、
知らなかった。

知ることができたのは、
宮本輝さんの小説「錦繍」を
読んだから。

読めば数ページで、
眩しいほど鮮やかな、
紅葉のグラデーションが、
美しい帯をポーンとなげられたように
心に広がった。

物語は、過去に傷つき、それでも
懸命に生きてく人たちの美しさが
描かれていた。
まさに錦繍に織り込まれれた糸のように
心に響く言葉が散りばめられて。

当時、三十年余りしか生きていない私にも、
主人公の迷い苦しみながら
光を見ようとする姿に深く感銘を受け、
この先、
どんなことがあっても、
自分の人生を、美しい錦の織物のように
したい、するのだ。
そう決意させられた、素晴らしい作品だった。

あの時、あの選択をしなかったら…。
そうすれば、あんな失敗はしなかった…
もっと、いい人生になっていたかもしれない、

悔やむことがある。

けれど、今の自分は、
積み重ねてきた選択でできていて、
それは、そうせざるを得ない
何か、心の癖だとか
あるいは運命的なもので
導かれているのかもしれない。

出会うものは、
避けようとしても
自分の力では避けることができず、
結局出会ってしまう。

だから。
失敗をどう捉えるのか。
失敗のあと、どう行動したらいいのか。
そう考えるところに、私らしい生き方が
あるように思ったのだ。

よりよく生きたい。
どんなに暗く濁った色が混じったとしても、
全体を眺めた時に、
その暗い色をも呑み込んで、
鮮やかな美しい色を活かす織物にしよう。

それが「錦繍」だ。

そんな考えに導かれた小説だった。

それまで紅葉狩りに
あまり興味がなかったが、
「錦繍」という言葉を知ってから
枯れてゆく前に
命の炎のように燃える紅葉を、
美しいなぁと眺めるようになった。

そして、いつもしみじみと思い出すのは
宮本輝さんのエッセイ「錦繍の日々」の一説だ。

「どの時期、どの地、どの境遇を問わず、
人々はみな錦繍の日々を生きている」。

この言葉を思い出すたびに、
これまで出会ってきた様々な人たちの顔が
浮かび上がってくる。
懐かしさや、嬉しさ、時に悲しさ…
様々な感情に目を閉じてしまう。

目を閉じても、目を開けても
広がるのは錦繍の景色。

人生の秋を迎える今、
その彩りを慈しむように、
眺められるようなりたい。

紅葉は終わっても、
私の錦繍の日々は続いていく。