おなかの中で、光る珠。

どんよりとした気分の時、
一瞬にして世界の色が変わった。
そんな出会いはないだろうか?

魚肚白(ぎょとはく)色は、
青みがかった明るい灰色。
魚の肚(胃袋)の色に似ていることから
この名がついたという。

関東に引っ越してきて、
仕事を始めたばかりの頃のこと。
東京の電車の数に面食らいながら、
お客様のところへ向かう車内。

電車は間違っていないか、
無事に目的地に着けるのか、
何より、仕事はうまくいくのか。
不安と気の重さで、うつむいていた。

あれは、中央線だったと思う。
乗り換えて、空いた席に座り、
やれやれ…と顔を上げると
向かいの席に、
あれ?
この世にはいない、父がいる!?

窓から射す、午後の陽射しと
空の淡い青が溶けた
魚肚白色の光の中に、
父が座っていたのだ。

その人も、私を見て驚いてる。
お互い「あっ!」と声が出た。

父にそっくりの人は、父の兄、
横浜在住の伯父だった。
あまりの偶然に驚きながら、
伯父は隣の席に移動して、
しばし近況を語った。

数年ぶりに会った伯父は、
思ったよりずっと父に似ていた。

懐かしく、嬉しく、
心がほどけるひとときだった。
暗く、重い表情の私に
空から父が、ヒョイっと伯父を
よこしてくれた。
そんな優しいイタズラに思われた。

入社一年目の夏の終わり。
仕事がうまくいかず、
その日も深夜まで残業。
ヘトヘトになって、
憂鬱になって、電車に揺られていた。

誰もが疲れ果てている車内。
最寄り駅まで、まだだなぁ…と
顔を上げると、学生時代の先輩が
今まさに降りようとドア近くに立っていた。

私の、はっ! とした気配に
気づいてくれて、先輩は、笑いながら
おいでおいで、と手招きして
いっしょに降りようと誘ってくれた。

ホームのベンチに座って、
なんという事もない、近況を話す。
こぼれる弱音に、学生時代と変わりなく
笑い飛ばされた。

それだけで楽しくて、
無邪気な自分に戻り、
大きな声で笑っていた。

程なく、終電が黒い夜の中を
ほんのりと青白い光でホームを照らし
入ってきた。

それじゃあ、また。

と、学生のように別れた。
職場も遠いのに、たまたま同じ電車の
同じ車両に乗っていたという偶然。

疲れも吹き飛ぶ
驚きと嬉しさだった。
その数分の語らいのおかげで、
さて、明日も頑張るか!
と、力が湧いたのを覚えている。

これも、
父なのか、神様なのか、
遠い空の上から
見守ってくれている誰かの
優しい贈り物のように思えたひとときだった。

日々、瑣末なことに追われて過ごす自分は
とても小さな点だけれど、
時に視点を
うんと空高く、遠いところへ飛ばしてみる。
神の視点で世界を見下ろす。

あの人があそこにいて、
この人はそっちにいて、
自分がここにいる。
その小さくて大切な点を、
ひょいとつまんで会わせることができたら、
どんな喜びが生まれるだろう。

自分の未来を思い描いて、
喜びあふれる瞬間をデザインする。

今は、動けない点でいることが
少しつらい時もあるから、
心だけは、広い世界を見おろしてみよう。
ワクワクしながら想像しよう。

魚肚白色を調べていて、
「南総里見八犬伝」のエピソードを見つけた。

「仁・義・礼・智・信・孝・悌」
それぞれの文字の珠をもった
八人の若者の物語。
その中で、釣った鯛の肚から
「信」の珠が現れる。

「肚(はら)」には、
「表に表さず心に思うこと」
の意味もある。

肚に「信」の珠を持つ。
窓から入る光のような、
暗闇に光るヘッドライトのような。

未来を、
自分の健やかさを、信じる。
それでも、心が弱った時は、
思いがけず与えられた嬉しい瞬間を
思い出しみよう。

嬉しい記憶は光になって
「信」じる尊さの珠を輝かせてくれる。
生きていくことは、光の珠をつなげること。
小さくても、キラリ光る珠をつなげて
生きていこう。

そう肚を決めることが
明日につながる気がする。

光あつめる真ん中の色。

雲居鼠(くもいねず)色は、
白に近い、明るい灰色。

「雲居」とは、雲のあるところ、
遠く、高く離れているところのこと。
こうした意味から、
雲の上の人や所、
つまり宮中をさす言葉とされていた。

あちこちで、色鮮やかに街を彩る
イルミネーションが見られる季節になった。
雪の多い街に育ったからか、
白く輝く光には特に心惹かれる。

赤、緑、青の三つの色は、
「光の三原色」という。
この三色の重ね方で、色が変わる。
そして、三つの色を重ね合わせた
一番明るい色が白になる。

人も、自分以外の人たちに会うことで
様々に色を変え、
最後は、重ね合わせた
色の中心である白になるのだろうか。

たくさんの色に混じって、
真ん中にある自分、
それがきっと自分の核、
本当の部分なのかもしれない。

日々揺れる感情の中で、
濁った目や心が
会えたことで、
さっぱりと洗われるような
思いにさせてくれる
友達がいる。

ただ会えることが嬉しく、
たくさん話し、笑って、
そのことで
嫌な感情も吹き飛んで、
あぁ、会えてよかった!
と、思えることの幸福感。

今年もたくさんの再会があった。
待ち合わせる時は、
様々な思い出が彩り豊かに蘇り、
心ときめいた。

そんな思いがあふれて、
会った瞬間、発光するような
喜び、笑顔が生まれた気がする。

再会は、
偶然だけでは叶わない。
努力の賜物と思うようになった。

毎日、出会っては、別れる。
帰ってくる人もいるが、
去っていく人、
巣立って行く人もいる。

距離が遠くて会えない人も、
距離は近くても会えない人も、
会える時間を作ってでも会いたい人との
距離は同じのような気がする。

その人に会う時間を
作ろうとするところから
再会は始まっている。

誰かを大切に思う気持ちを
あたためながら、味わいながら、
日常の面倒なことも、
少し腹の立つことも、
縦にしたり、横に置いたりして
整理しながら、
その日、その時を、楽しみに待つ。

好きな人たちに会う楽しみは、
遠い空の雲を仰ぐ気持ちに、
ちょっと似ている気がする。

「雲居」という言葉の意味を思いながら、
昔の人たちは、
その色を身にまとう時
どんな心持ちだったのだろうと
思いを馳せる。

ひととき、雲の上のような人たちに
近づくような誇りと喜びを
持っていたのではないだろうか。

好きな色を身にまとう。
誰かに会うために、
好きな自分に会うために。

雲は遠いけれど、
いつも当たり前のように空にあって
私たちを見下ろしている。

来年は誰に会えるのか、
どんな楽しみが待っているのか
知ってるような明るさで。