咲く白、置く白、羽ばたく白。

わからないから怖いこと。
知っているから怖いこと。

夏の終わりとともに、
怖いことも、
では、さらば! と別れたいのだけれど…。

白和幣(しらにぎて)は、
カジの皮の繊維で織った布の白い色。
和幣(にぎて)とは、神に供える布のことを言う。

20代の頃、まだ一人暮らしをしていた時に
風邪をこじらせた。

薬が効かない…。
気管支が弱かったこともあり、
熱も出て、咳も悪化していった。

深夜にひどく咳き込んだ時、
息が吸えなくなった。

布団の中で、強く目をつむり、
このまま息ができなくなるのかな?
という苦しさに襲われた。

ぎゅっと、強く目をつむっていると、
白いぼんやりした形が見えた。

いくつの時だっただろう。
小学生になったばかりの頃か、
家族で山に登った。

大きな白い百合を摘んで
上機嫌で歩いていたが、
下山の時、足が痛くなって、
父に背負ってもらった。

手にしている百合が
父の顔に当たり、
匂いにむせるからと、
山道の脇の草むらに、
置いていくように言われた。

美しい花を手放すのは、
とても惜しかったけれど、
もう歩けないから…。
と、泣く泣く置いて帰った。

咳がひどくて息のできない時、
瞼にぼんやり浮かんできたのは、
その時の百合の花だった。

生き生きと咲いていたのに、
手放す時は、大輪のまま
哀しそうに萎れていた。

いつも徹夜、不摂生も、
ものともせず、
走り回っていたのに。
今や、心細く布団にくるまって
息も絶え絶えに萎れている…。
そんな自分の姿と重ねた。

このところ、
自宅療養をして苦しむ人たちの
ニュースを見ると、あの日の自分を
思い出す。

息ができなくなる苦しさ、恐怖。
一人でいることの、心細さ。

知っているから理解でき、
それだけに怖くて、胸が痛む。

どんどん変異するウィルスが
これからどうなるのか。
それもわからなくて、怖い。

しかし、
恐怖に身を縮めていても、
完璧に避けることはできそうになく、
ウィルスがこの世からなくなることも
ないようだ。

理解して、用心しながら、
少しずつ前に進むしかない。

息ができずに、
「死」を意識した瞬間に
思ったことは、
── まだ出会うべき人がいる。
  出会うべき時がある。
  生きたい、出会ってみたい──
だった。

その願いは切実で、
生きようとする力をくれるものだった。

遠い日に、泣きながら
置いて帰って百合のように、
前に行くために手放さなければ
ならないものがある。

あの時、父は
「捨てるんと違う。山に返しとくんだ」
と言ってくれた。

山に供える気持ちで、
そっと、踏まれないように、
置いて帰ったことを思い出す。

和幣(にぎて)は、神に祈る時、
榊の枝につけて捧げる、祈りのしるしのような
神聖なもの。

その白い和幣(にぎて)のような
百合を捧げて、
今は返しておく、
でもまた、会いにくる…と、
願いをこめた。

これからのウィズコロナという時代を
生きていくために、諦めることも
多くなるだろう。

そう考えると、暗く沈む思いになる。
それでも、「いつか必ず」と、
希望を持って、生きていく。

見上げる空は、秋の色。
秋の風は「色なき風」と言う。
まだ色のない、どんな色にも染まれる風。

そういえば秋の異称は「白秋」。
白い季節だ。
清らかな風に、
彩り豊かなたくさんの祈りをのせて
心を、願いを、羽ばたかせよう。

遠い日の宿題が終わった夏。

読もう、読もうと思いながら
なかなか読めない本がある。

煤竹色(すすたけいろ)は、
囲炉裏の煙に燻されて、
煤けた竹の色のような
暗い茶褐色色。

まだ、ひらがなも読めない頃に、
父が買ってくれた
「オオカミ王ロボ」。
シートン動物記シリーズの
一冊で、表紙に凛々しい狼が
描かれていた。

当時の私には、文字も小さく、
漢字も含まれていて、
とても読めそうにないものだった。
何度も「読んで」とせがみ、
読んではもらったけれど
忙しかった父も母も、面倒くさそうに、
早口で朗読。
ますます、その本は遠い存在になった。

小学三年生のとき、
読んだ本のあらすじと感想を
みんなの前で発表する、
と言う授業があった。

その宿題をすっかり忘れていた。
そして、そんな時に限って、
先生に当てられてしまう…
と言う運の悪さ。

さて、困った。
と、壇上に上がる。

あんな難しい本、誰も読んでいないだろう、
と、「オオカミ王ロボ」の話をすることにした。

もちろん、ちゃんと読んだことが
ないので、ストーリーは知らない。
けれど、美しい挿絵と、
絵に添えられていたキャプションは
何度も目にしていて、
ロボとブランカが夫婦である
と言うことだけは知っていた。

結末も挿絵から想像して、
私ふう「オオカミ王ロボ」の物語を
その場で作って話した。

質問など、されませんように!!
と、心で祈ったものの、
クラスで一番、成績のよかった男の子が
はい!
と、真っ直ぐに私を見て手をあげる。

あの時の恐怖は、今も忘れられない。

ストーリーについて、
いくつか質問を受けた。

今思えば、よくもまぁ抜け抜けと…と
思ったほど、作り話で応えた記憶がある。

あの時、もし、ちゃんと読んだ人がいたら、
どうしていたのだろう?
今思い出しても、ヒヤヒヤしてしまう。

そんな苦い思い出もあって、
長い間、読むことはなかった。

それから数十年経ち、児童書ではない
「狼王ロボ」を読んだ。
あんなにハードル高い小説だと思っていたのに、
数十ページの短い短編だった。

短い中にも、闘い、虚しさ、愛情…
そして、ロボの知恵と勇気と生きる強さに
満ち溢れた物語。

子供の頃に読んでいたら…。

煤竹色は、江戸時代の一時期、
小袖や羽織にして大変流行したという。
侘び茶に通じる人たちには、
茶室の天井や、茶道具にも好んで使われたとか。

その燻されてくすんだ色が、
時の流れや、愛着などを表して
好まれたのだろうか。

時が経たないと、味わいの出ない、
わからないものもある。

子供の時に歯がたたなかった本も、
大人になったから、スラスラと読めて、
勧めてくれた人が、
自分に何を与えようとしてくれたのかが
わかって、しみじみとする。

与えられた時に、ちゃんと読んでおけばよかった…。

そんな反省があったからだろうか。
読み終えた日、夢の中で、
深夜に帰宅して
「遅い! 」と父にぶたれる夢を見た。
右の頬に残った痛みは、
ロボの悲しみにも似ている気がした。

強く見える人にも不安や心配があり、
その内なる弱さを隠し、
そのために知恵や工夫を重ねて
誇りを保っている。

ロボの最期の咆哮は、
ただ悲しみだけではない、
仲間への、ブランカへの魂をこめた叫び。

遥か遠くまで響きわたるその声を
今は、胸のうちに聞くことができる。

それは、本を読み、人の心を知り、
初めて聴こえる、
限りない愛情がこめられた
咆哮なのだと、思い知る。

消えない炎の色。

手紙が好きだった。
中学、高校生の時は、帰ったらまず、
郵便受けを見るのが楽しみだった。
赤く四角い箱型の。
それを開けるとき、私の顔も紅く染まっていたと思う。

真朱(しんしゅ)色は、少し黒味のある赤色。
色名につく「真」は
「混じりもののない自然のままの朱である」という
意味を持つ。

中学の時、友人の紹介で
福岡の男の子と文通することになった。

最初の手紙を郵便受けに見つけた時は、
甘い秘密を持ったようで、ドキドキした。
急いで部屋に持ち帰り、
封を開けたのを覚えている。

写真も同封してくれていた。
福岡市内から離れた町の、
田んぼのあぜ道で、直立して写るペンフレンドは
丸刈りにジャージの素朴な少年。
足元がマジックで黒く塗られていたのを
透かして見ると、おじさんのつっかけを
履いていた。

その素朴さに親しみを感じて、
他愛もない話の手紙のやり取りが始まった。

「真朱」は「まそほ」とも読む。
「しんしゅ」と「まそほ」、二つの名前。

遠い町の知らない男の子と文通している、
などと知られたら、怒られる!
そう思って、
差出人の名前を女の子の名前にしてもらった。

「なおき」君を「なおみ」ちゃんに。
二つの名前をうまく使い分けて
互いの学校のこと、友達や勉強のこと、
遠い分だけ、誰に気遣うこともなく、
素直に率直に話していたように思う。

恋人でもボーイフレンドでもなく、
周りのほとんどの人が知らない交友関係、
ペンフレンド。
手紙が届くたびに特別なときめきがあった。

けれど、数ヶ月で突然、
「彼女ができました。ごめんね」
と、文通は終わることになった。
失恋とは違うけれど、
あぁ、私たちは異性だったのだと気づいた。

これまで通りに、彼女の話をしてくれたらいいのに…
と、思ったけれど、なおき君にすれば
彼女に悪いと思ったのかもしれない。

真朱にはこんな万葉のうたがある。

「ま金吹く 丹生(にふ)の ま朱(そほ)の色に出て 言はなくのみぞ我が恋ふらくは」

鉄を精製する真朱色の土のように、色には出さない、言葉にしないけれど。
私は恋い焦がれている…という意味。

恋とは言えなかったけれど、交流をなくしたことの
欠落感を誰にも言えない寂しさがあった。

もう来ないとわかっていても、
手紙を待って、毎日郵便受けを
のぞいていた。

最後の手紙から二年ほど経って、
高校生になったなおき君から、手紙が来た。

「バンドをやっています」という近況に、
モノクロの彼の写真が添えられていた。
見違えるほど大人っぽくなっていた。
いろんなことがあったのだろう。
私もいろんなことがあったよ。

そう思っても、何から書いていいのか
わからなくて、返事は出せなかった。

数年前、福岡を旅した時に、
もしかしたら、どこかですれ違っているかもしれないな。
そう思うと、ほのぼのと愉快な想いになった。

交流は途絶えても、
真朱のポストに手紙を投函するときの
弾む想い。
帰宅して真っ先に郵便受けを見て
手紙を見つけた時の喜びは、消えない。

誰の心の中にも、
秘めた炎のような思い出があって、
ふとしたきっかけでチロチロと燃えたり、
それを懐かしく見つめる時があるのではないだろうか。

レトロなポストは真朱の炎。
「なおみちゃん」は、元気でいるだろうか。

めぐる季節に、変わらない色。

緑に恵まれた町で育った。
海には松並木が見え、
ふりむくと木々繁る山があった。
風のぬくもりや
湿気とともに変わる緑の色合いは
季節の移ろいを教えてくれた。

太陽の光の下で、
陰影濃い夏の緑は、千歳(ちとせ)緑。
春の新緑よりも、暗く、深い緑色だ。
千歳とは、千年のこと。
千年ののちも変わらない緑という意味を表す
縁起の良い色名だ。

それほどたくさんの竹を見た記憶はないけれど、
生まれた地区は“藪ノ後”といって、
竹にちなんだ名だった。
そのあたりの人だけが知る
生家の前の通りは、竹花通りと呼ばれていた。
よそゆきの服で出かけるときは、
近所のおじさんから「お、竹花小町か?」と
声かけられたのも、くすぐったい思い出だ。

小学校に上がる前の
新しい靴を買ってもらった日。
伯母と近所の商店へ行ったところ、
足元ばかり見ていて
伯母とはぐれてしまった。
店の裏手で大泣きしていて、
顔見知りの人が家に連絡をくれたという。
店の名は「まつしまや」。
竹や松の多い町だった。

竹藪はなかったか、というと、
実は、家から少し離れたところにあった。
子供の足では、少しきつい坂道を登った
少し先に。
春の祭りの頃には近所のおじさん達が
筍を掘りに行き、
蜂に刺された、マムシがいたとか
恐ろしい話を聞かされた。
お盆に火の玉を見たという人もあり、
結局、その藪の中に足を踏み入れたことはない。

そんな生まれ育った町に、
今はなかなか帰れない。
訪れるたび、
記憶のかけらが消えていくように
変わってゆく。
けれど、あの竹林を思い出すと、
その町にいた頃の空気や匂いが
鮮明に蘇ってくる。

夏の湿気、夕立の前の不穏な空、
雨の後の土の匂い、
一つ一つが皮膚や鼻腔の奥に
残っていて、
「どこへ行こうと暮らそうと、
 お前はこの地で育ったのだ」
と、呼びかけてくる。

夏は帰省する友人の話を
聞いたり、SNSで見たりするからか、
余計にその声が聞こえてくる気がする。
帰る家もないのに、帰りたい。
これが愛着というものなのかもしれない。

千歳緑の「緑」の文字を
私はよく「えにし」の「縁」と
書き間違える。
千歳に緑のままのもの。
千歳に縁がつながるもの。
故郷の色は千歳緑で、
思い出す人たちと縁を結ぶ。

「秋扇(あきおうぎ)」という言葉がある。
涼しくなると不要になる扇子のように、
夏の盛りが過ぎて、
風を送らなくても良くなる時期のこと言う。
また、それを恋の盛りが過ぎて、
「寵(ちょう)を失った女性」に
たとえることもある。
なんと悲しく、意地悪なたとえか。

夏休みが終わって、
私に郷愁の念を起こす熱も
ゆっくりと冷めて、そろそろ扇子も不要となる。
けれど、愛着は消えず、縁が切れることはない。
千歳緑のように深く濃い想いで
つながっている。

陰暦九月の異称は「色取月(いろどりづき)」。
秋が近い。
変わらぬ緑を背景に、
色美しい季節がゆっくりとやって来る。
故郷にも、今いるこの町にも。

たたかう手のひらの色。

「手のひらを太陽に」
という歌が好きだ。
夏の陽射しに手のひらをかざすと、
真っ赤に流れる血潮が見える気がした。

猩々緋(しょうじょうひ)色は、
鮮やかな赤色。
猩々とは、中国の伝説上の猿に似た生き物で、
赤い体毛を持ち、その血がとても赤いことから、
猩々緋という名がつけられた。

力強い命の色。

小学四年の夏、
羽がちぎれて、ひっくり返り、
風に吹かれている小さなトンボを見つけた。

かわいそうに思って、空き瓶の蓋に
砂糖水を含ませた脱脂綿を置いて
ちょこんと乗せてみた。
必死につかんで砂糖水を飲むトンボに
強い生命力を感じた。

人に踏まれないように、
玄関先の植木鉢の上にそれを乗せて
元気に明日は飛んでいくかなぁ…と
願って眠った。

朝になって、トンボを見て驚いた。
トンボは砂糖水に集まったアリに
真っ二つにされて、植木鉢に作った
巣に入れられようとしていた。

羽がちぎれ、飛ぶこともできず、
砂糖水さえなければ助かったかもしれないのに!

残酷なことをしてしまった自分を責めた。
悲しかった。
襲われる瞬間のトンボの気持ちを思うと、
怖かった。
そんな恐ろしさと後悔で、
植木鉢の前で沈んでいる私に、父が
「せいぞんきょうそうだ」
と、静かに言った。

意味は全くわからなかったけれど、
その言葉を宿題の日記に書き留めている。
翌日は「強い者だけが勝つのか?」と
書いて、先生には提出しなかった。

夏の赤色がどんどん淡くなっていく。
太陽もやさしい光になって、
手をかざしても、もう突き抜けるような
強さはない。
「氷」や「ラムネ」の赤い文字の旗も、
街からひっそりと消えてゆく。

季節はめぐってゆく。

あの日、トンボは、砂糖水がなくても
ゆっくり命は消えていったのかもしれない。

生存競争の「競争」は、弱肉強食のような
奪い合い、戦いだけではないと
最近になって知った。
動物であれ、植物であれ、
命そのものが、いかに生き延びるか
同じ生きもの同士それぞれに競い合い、
進化するために、弱いものは負けて
消えてゆく。
それも生存競争なのだと。

私は進化してるのだろうか。
根気がなく、気が弱く、体力もそれほどなく、
競争に勝てるとは到底思えない。

太陽に向かって広げた手のひらを、
力強く、ぐっと握ってみる。

何ができた、とか、できる、というものも、
いまだにないけれど。

私は私の手ですることを信じよう。
誰かがしたことを黙って借りたり、
盗んだり、ズルをしない限り、
それは私の競争に勝ったことになる。

自分の力でやってみること。
それを続けること。やめないこと。
そうすれば、やがて自分のやり方が見つかる。
何かが生まれる。

時々、自信をなくしたり、
忙しさに、続ける意味が見つけられなくなったりするけれど。

そんな時は、ぐっと握り拳を見つめて
たぎる血を思おう。

戦国時代、武士たちは猩々緋の布を用いて
陣羽織を仕立てたという。

戦国の武士の想いになって、小さく勝鬨をあげて
自分を鼓舞するのだ。

生きていく限り、私の生存競争はつづいてゆく。

空っぽの木に咲く想い出の色。

卯の花色(うのはないろ)は、
空木(うつぎ)に咲く花、“卯の花”の色。
古くから、雪や白波にもたとえられてきた白をさす。

先日、骨折して入院した母を見舞い、
しばらく母の部屋で過ごした。
電話では元気そうだった母も、
最近は、思うように動けなかったのか、
部屋のあちこちにほこりが積もっていた。

食器棚を開けると、ころんだ時に折れた前歯が
大切に紙に包んでしまわれていた。
それを見て、
幼い時に歯医者さんで
診察を受けた日のことを思い出した。

いくつだったのか記憶にないけれど、
その日、恐怖に泣く私の治療中、
母が痛いくらい
力強く手を握ってくれていたのを覚えている。

いつも家族を心配して、怒って、
笑って、ちょっと毒舌だった母が、
今は、たよりなく病室のベッドで
天井を見て溜息をついているのは、
見ていて、どこか切なかった。

帰る日に、じゃあまた来るね、
と、手を握ったら、
いつのまにか細く小さくなった手は
私が握る手の力に、
弱々しく返してくれることしか
できなくなっていた。

月日は知らぬ間に、流れていた。

胸の奥にチクリと痛む切なさを抱えたまま、
次の場所へと移動して、
きっとぼんやりしていたのだろう。
思い切り前のめりに転んでしまい、
したたか顔をうちつけて
前歯が欠けてしまった。

ギザギザに欠けた歯を
舌で確かめると、
失くした痛みを
思い知らされるような
ざらつきがあった。

一本まるごと失くしたわけではないのに、
小さな一部分が欠けただけで、
心にも体にも痛みが襲ってきた。

卯の花は、小さな白い花が枝いっぱいに咲き、
夏の花ながら、雪のように見えるのだという。

たっぷりと白で覆われるその光景は、
健康な白い歯がのぞく口元にも似ている気がする。
それは、若くて元気だった父や母がいた頃の
私たち家族の姿にも重なる。

その後、私の歯は治療して、
元の形に戻った。
けれど、あまり固いものを食べてはいけませんよ、
と医師からアドバイスを受けた。
見た目は同じに見えても、
もう欠ける前の歯ではない。

母も、少しずつ老いてゆく。
何もかも、月日を重ねれば、
元の通りになるものはない。

卯の花の咲く空木(うつぎ)は、
枝の内部が空(から)であることから
「空ろな木=空木」と名付けられたいう。

母のいない母の部屋は、
物はあっても空っぽの空木のように感じられた。

そんな空っぽに感じられた部屋も、
片づけていると、
棚いっぱいのアルバムがあるのを見つけた。
母の子ども時代から、私たち家族の想い出まで
長く愛しい時間がぎっしりと詰まっていた。

そうだ、人は、生きる限り、
空(から)になんかならない。
今の気持ちも、いつか家族の想い出となって
力を与えてくれる。
そう思って、卯の花色の母のシーツを
お日様に干したのだった。

落としたものは、何色ですか?

生色(しょうしき)。
この名から想像できないけれど、
金色の別称だ。

仏教では、金は、錆びずに“生まれたまま”の輝きを
保つことから、生色という名がつけられた。

高校生のとき、友人からもらった財布が、
この色だった。
四角い掌サイズの小銭入れ。

とても気に入っていた。
ところが、夏休みのある日、
電話ボックスに置き忘れてしまった。

気づくのが遅く、
あわてて引き返したけれど、
すでに財布はなかった。

携帯電話などない時代のことだ。
財布がなければ、帰りのバス代もなく、
助けを頼む電話もできない。
さて、困った!
と、泣きそうな思いで、
電話ボックス内に落ちてはいないかと
探したところ…
分厚い電話帳の間に、ぺらんと
はさまれたメモ書きを見つけた。

「ここに財布を置き忘れた方へ。
 警察に届けたので、取りに行ってください」
と。

驚きと、嬉しさで、メモを持つ手が震えたのを覚えている。

警察に行き、落とした時間と物と残金が
一致したことから、落とし主と認められ、
暗い部屋に通された。

しばらくすると、穴をあけ、太いひもに通されたいくつもの
落とし物の財布を見せられた。
色とりどりの財布の中から、金の財布を
指さすときに、ふと、「金の斧、銀の斧」の
物語が頭によぎった。
私の斧(財布)は、本当に金色だったのだけれど。

個人情報にうるさい現代でもそうなのだろうか?
その時は、拾って届けてくれた人の名前と住所を
メモ書きして渡された。

新学期になって、御礼に行くことにした。
一人では少し不安で、友人について来てもらった。

その日も暑くて、探し当てた家の玄関は開け放たれていた。
突然の訪問に、驚きながら現れたその人は、
思っていたよりも若いお母さん。
控えめな明るさで、あたたかく応対してくださり、
奥から、小さな坊やも出て来てくれた。

お小遣いで買ったささやかな菓子も、
固く遠慮されたものの、
無邪気な坊やに渡して、本当にあの日、
助かった、嬉しかった、ありがたかった…
そんな感謝の想いを、拙い言葉で述べ、
早々に帰った。

とても良い、嬉しい思いが胸に満ちていた。

けれど、そばで見ていた友人がぽつりと、
「あの人、いい人すぎて損をして生きてるように見える…」と
率直な思いを話してくれた。

確かに、ずるい気持ちで得するくらなら、
敢えて清貧を選ぶ、そんな強さと清潔さを感じられる人だった。
ほんの数分の会話にも、そう思える美しさに
心惹かれた自分に気づいた。

いつも清々しい想いで、ものを見ること、
人に会うこと、ことにあたること。
そうすることが、どんなに飾り立てた美しさよりも
魅力的な輝きになると、あの日に教わった気がする。

この生色(しょうしき)は、
「しょうじき」と読まれることもある。

錆びないで、生まれたままの輝きを
保つ色の名、「しょうじき」。
この読み方に、多くを語らない教えのようなものを
感じる。

心の錆は、ずるさを許す自分の中からひろがっていく。
私の中の「しょうじき」は、
まだまだ弱く、得られるならば、銀の斧を捨て、
金の斧をわが物にしようと求めてしまう。

身の丈を知り、おてんとさまに恥じないように。
それを教えてくれたあの日の落とし物は、
私にとってかけがえのない拾い物だったのかもしれない。

燃え立つように、変わるもの。

五百万本が咲くという
「曼珠沙華まつり」があると
聞いて、観に行った。

それは想像以上に壮観な眺め。
鮮やかな朱色の絨毯が、
一面に敷き詰められたような
目にまぶしい満開の景色だった。

その色は、
紅でもなく、朱でもなく。
黄みの強い赤色、
「銀朱(ぎんしゅ)」
が一番近い色に思われた。
「銀朱」とは、
水銀と硫黄を混ぜて
つくられた人工の朱色だ。
そのせいか、ほんの少し毒気をはらんだような
強い色に感じられる。

群生する銀朱の花々は、
子どもの頃は、決して摘んで帰ってはいけない、
じっと眺めることも禁じられていたものだった。
彼岸の頃に咲くため、彼岸花と呼ばれていて、
当時は墓地でしか見かけなかった。

その赤さと炎を思わせる咲き姿からか、
「持ち帰ると火事になる」とか
「不吉を持ち帰る」「摘むと手が腐る」
などといった迷信もあるらしい。
球根に毒があることから、そんなふうに言い伝え、
子供たちに注意を促していたのかもしれない。

少し怖くて妖しい曼珠沙華。
夏の陽射しをたっぷり浴びて、
熱を放つような色と形で咲く花。
人の心をも惑わすような
妖艶な花姿だ。

こんなに美しいのに、人から忌み嫌われる。
その謎を、その存在を、気になりつつも、
気にすることがいけないことにように思っていた。

この日、たくさんの人が
今が盛りと咲き誇る、
曼珠沙華の美しさに見とれ、
褒め、感動しながら
歩いている様子に時の流れを感じた。

時が変わり、
ところが変われば、
同じものも価値が変わることもある。

もう消えた、と思った情熱も
時期がきて、
ところを得たときに、
一気に燃え上がることも
あるかもしれない。

少し体調を崩した夏だったけれど、
小さな情熱も消さず、臆せず、あきらめず、
進んでいこう、そう思った。

こんなふうに一気に何かを変えてしまうくらいに。
目をつむっても、まぶたに色が残るくらい熱をもって、
銀朱のような秋を燃やしていこう。

あこがれを淡く薄めて許す色。

半色(はしたいろ)は、
深い紫と、浅い紫の中間の色。
「半」というのが、中間の意味だという。

平安時代は、身分によって「位色」が
定められていて、
深紫や深紅のように濃い色は、
高貴な人にしか使うことが許されなかった。
それを禁色(きんじき)という。
その禁色に対して、
浅い色、薄い色などの中間色である
半色(はしたいろ)は、許し色(ゆるしいろ)として
位を問わず、使うことが認められていた。

使うことが許されない美しい色を
淡くしてでも身にまといたい…。
遠い昔の人にも色への憧れや好奇心があったようで、
今と変わらぬオシャレ心に、とても親近感を感じる。

現代では身分にかかわらず、自分の好みで色を選び、
どんな色も身につけることができる。

とはいえ、私が高校生の頃、
この半色(はしたいろ)のセーターと
黒のサテンの光沢あるボトムスを買ってきた時、
ひどく叱られたことがあった。
それほど派手でもなく、シックにまとめたつもりが
どうも両親の目には、色気付いて、はしたない
なんとも情けない娘に育ってしまった…
そう映ったらしい。

娘としての「禁色」を選んでしまったのだった。
両親にとって半色のセーターは、許し色にはならなかった。

なぜ、そんなに怒られたのだろう。

今、思うに、平安の昔でなくても、着るものは
それを身にまとう人の身分、とまでは言わなくても
その人の生き方を表わすことになるのかもしれない。
色やカタチはもちろん、着こなし方も
その人の品とか想いとか、どうありたいかを表現する。

両親には、両親なりの娘にどう生きてほしいか、
どう生きてほしくないか、を
洋服ひとつにも見ていたのかもしれない。

半色(はしたいろ)。
高貴さはそのままに、淡くやさしく、ひかえめな色。
もう何色を着ても、両親に怒られることはないけれど、
年相応に、出会う人に不快感をもたれないよう、
この色をわが身にあててみたい。

夜の都会をぼんやりと染める色。

東京の煌めく夜景を
バスで観に行こうと友人に誘われた。

それは二階建ての屋根のないオープンバス。
いつもより高い観点から、
晩夏の風とともに流れていく
光に満ちた都会の夜の景色を
存分に見られるというものだ。

金茶色(きんちゃいろ)は、金色がかった明るい茶色。
その日、バスから眺めた東京の夜景は、この色で満ちていた。

美しく輝いて、時に点滅して、
夜の闇が引き立てて魅せ、心躍らせる。

「きれいね」「きれいだね」と、
その時、その時、浮かび上がる感動を、
友人と満面の笑みで、確認するように
わかちあっていた。

この美しさを切り取るように残したい…。
どう写るのか撮ってみたい…。
そう思いながらもその日は、
友人がスマートフォンのカメラで撮る時だけ
撮ることに決めていた。
カメラも、いつもの一眼レフカメラではなく、
カバンに小さく収まるコンパクトデジタルカメラだけ持って。

なぜなら、せっかく誘ってくれた友人と
同じものを見て、感動した瞬間を分かち合い、
いきいきと語り合うことを
大切にしたい…そう思ったのだ。

その結果、撮れた写真は、ほとんどピントが合っておらず、
うまく撮れたものは一枚もなかった。

けれど、幻想的に浮かぶ屋形船を撮っていたとき
「あの中で天ぷら揚げてるよ」
「ええ!? なんかムードこわれる〜」
などと話して、ふきだしたことや、
夜の東京タワーを下から見上げると
意外に大きく、想像以上に美しいことに
驚き、大騒ぎしたことや
ひとつひとつの出来事が思い出されて
どれもかけがえのない一枚になった。

きれいに撮れなくても、
自分の中の記憶の美しさを引き出す。
それが写真のチカラでもある、
そんなことに気づかされた。

東京の夜景は、光も多くて、人も多い。
見渡せば、人が誰かを想い、誰かと話し、
誰かとふれあいながら、金茶色に染まっている。

都会の夜景が、美しく、優しく見えるのは、
ビルや建物だけでなく、人との結びつきまでも、
浮かび上がらせる光の色、金茶色だからかもしれない。