みっつの、しろい贈り物。

初めて感動した写真集は、
プリンスエドワード島」。
友人からのプレゼントだった。

素色(しろいろ)は、
天然のままの絹の色。
繭から取り出したばかりの生糸の色で、
これを漂白して、白色になると言う。

サブタイトルが、
「世界一美しい『赤毛のアン』の島のすべて!」
というプリンスエドワード島の写真集は、
子供の頃から憧れていた島の、
四季折々の景色がたっぷり見られた。

雄大な緑の景色に現れる、
建物や花の、まぶしい白。
とりわけ心惹かれたのは、
島をまるごと白い世界に
染めてしまう雪景色だった。

何度も何度も見ているうちに、
島を訪れることはできなくても、
私もこんな景色を撮ってみたい…。
そう思うようになった。

数年後、操作もカンタンな
コンパクトカメラを入手して、
撮ったものをSNSに載せるようになった。

その年に、
あすのとびら
という写真集を
別の友人が贈ってくれた。
ページを開くと
怖いほど美しいオーロラと雪景色。

凍える寒さに包まれる雪世界の写真は、
澄んだ美しい空気も感じられた。
それは、私など絶対撮れない景色。

行けないところばかりある。
できないことばかりある。

ちょっと、そんなふうに
すねていた時期でもあった。

その本は、写真詩集。
眺めていると
夜明けの雪景色に、心に止まる言葉があった。

「あるがままのじぶんをうけいれて」。

素色の「素」には、
「ありのまま」の意味がある。

素顔、素直…
「素」には、歳を重ねて、どこかに
置いてきた色があるように思われた。

その後、
カメラを買い替えたり、もらったりして、
ちょっと機能性あるものも使えるようになった。

そんなとき、また別の友人から贈られたのが、
白い表紙が美しい本、
愛の詩集」だった。
初めて「この人の撮る写真が好きだ」と、
写真家について調べ、
その人の作品を次々に鑑賞した。

遠くに行けなくても、
いつもの街、少し離れた場所で、
はっ! とする写真は撮れるのだと
教えられた。

そして、
こんなふうにはなれなくても、
こんなふうになれたらいいな、
と、ブログを始めることにした。

三冊の本は、
やさしい友人たちが、
それぞれ別の時、
別の想いで
贈ってくれたものだった。

受け取った時は
ただの点と点、
バラバラに存在していた。

けれど、何度も眺めているうちに、
それらの点がつながり、美しい丸となって
私を静かに動かしてくれた。

「素」には、「根本になるもの」の意味もある。
私の根本、土台となる三つの出会い。
贈ってくれた友人たちに、心から感謝したい。

受け取ったのは、ものだけではない。
言葉や、視線や、想いなど
目に見えないものが、
私に色を与えてくれたのだ。

振り返ると虹のような景色に見える。

今年も、もうすぐ暮れようとしている。
日々を後ろへ、後ろへと見送って、
虹のように鮮やかだった日々も
少しずつ消えようとしている。

消えてしまっても、
残した写真と
その時々の想いは残る。

年々、経験を重ねても、
素朴な色を忘れずに。
色を重ねても、
素である、自分の天然の白い色を
失わずに行こう。

新しい年を楽しみにして。

静かな聖夜に届くもの。

「残業せんと、早よ帰って。
 今日は、クリスマスやから」。
出先からの上司の電話に、
予定はないと答えられなかった。

琥珀(こはく)色は、透明感のある黄褐色。
ウィスキーや蜂蜜、水飴の色としても
よく知られている色だ。

独身、一人暮らし。
心躍る予定のないその日、
クリスマスでにぎわう街に
一人出かける気にもなれず、
「先生」と呼ぶ、
経理の女性と二人で帰った。

まっすぐ帰ると言う私に先生は、
「若い子がデートの約束もないの!?」
と、驚き、なぐさめ、
市場で、カゴひと盛りの
おいしそうな海老を買ってくれた。

狭い台所の部屋に帰り、
たくさんの海老を塩茹でにした。

こたつの上にドン! と置いて、
殻をむいて食べる。
…おいしい!
予想を上回るおいしさに、
一人黙々と食べていた。

そこに電話。
「あ、いた!」
学生時代の友人が
「今から、プレゼント届けにいく」と
突然の訪問予告。
海老はもう殻だけになって、
何もないことを言うと、
あきれながら「いいよ」と笑う。

しばらくすると、ノックする音が聞こえ、
玄関を開けると、友人が
ラッピングされたバラ一輪を口に咥え、
フラメンコのポーズで立っている。
その隣に、友人そっくりの弟くん。
免許のない友人を乗せて
クリスマスの夜、
わざわざやってきてくれたと言う。

ケーキもご馳走もなく、
こたつにお茶、という殺風景な我が部屋。
けれど、二人がやってきて、
わいわいおしゃべりしていると、
気分が華やいだ。嬉しかった。
誕生日プレゼントを持ってきてくれたと言う。

私の大好きなイラストレーターの
ポーチとマグカップ。
そして、買った時に、
おまけにつけてもらったという、
さっき咥えていた一輪のバラも添えて。

いろんな喜びで胸がいっぱいになって
何かお礼をしようと、
どこかに行く? と誘うと、
弟くんの次の予定があるから
すぐに帰ると言う。

その日、寂しがっているのを知っていたかのように
プレゼントを持って、現れ、笑わせ、
心に灯りを点して、帰る。
二人は、まるでサンタクロースとトナカイのようだった。

にぎやかなクリスマスもいいけれど、
あの日、静かに過ごしていなければ、
あんな驚き、弾けるような喜びは、
得られなかったかもしれない。

なんとなく出かけていたら
クリスマスのにぎやかさに、
余計寂しくなっていただろう。

先日、食器棚を整理していて、
その時にもらったマグカップを見つけた。
ちょっと欠けてしまったけれど、
あの日の嬉しさを思い出すと、
どうしても捨てられなかったのだ。

琥珀は、太古の樹脂類が土中で石化した鉱物。
何千年の時を経て現れ、宝石となる石の色だ。

静かな師走の夜、懐かしい思い出が
何かの拍子に、こぼれるように現れる。
光に透かしてみると、
思い出が溶けて、胸を熱くする。

クリスマスのイルミネーションが
今年は見られた。
昨年見られなかった分、
まぶしいほどに煌めいていた。

華やかな思い出も、
静かでやさしい思い出も、
私の中で地層のように重なっていて
今の自分を作っている。

にぎやかさに笑う時もあれば、
その中で、静かに耳をすます時もいい。

どちらも、琥珀色に輝くクリスマス。

今年も、静かに過ごすことになりそうだけれど、
健やかであることに感謝し、
心穏やかな未来が来ることを祈ろう。

いくつになっても、
サンタクロースはやってくる。