今できる、最高を求めて。

焦香(こがれこう)色は、
穏やかで落ち着きのある上品な茶色。

香木を使って、何回も染め重ね、
焦げたような濃い香色である。

木の色が好きだ。
その匂いも、手触りも。
懐かしく、優しい気持ちにしてくれる。

今年も、テーブルウェアフェスティバルという
食器やテーブルを彩る品々を
展示販売するイベントに行ってきた。

広い東京ドームを
友達とあちこち
興味津々見て回った。

心惹かれるものは多く、
吟味して、迷って、
結局、買えずに帰ることが多いのだけれど。

今回、気になるお店を
見て回っていると、
Rちゃんが、あ! と
驚くように手に取ったものがあった。
── miyazono spoon。
すでにそのスプーンを持っている
彼女いわく「ものみな、おいしくなるスプーン」と。

それは、スプーンをこよなく愛する職人さんが
「こんなスプーンがあったらいいな」を追求して、
手作りされたもの。
最高の口当たりを考えて創られた、カタチ、
厚み、触り心地なのだという。

すでに買ったスプーンが10本くらい買えそうな値段。
迷いに迷ったけれど、
一度はこのスプーンを口に入れてみたい!
という好奇心にかられ、思い切って買った。

当たり前のことだが、
そのスプーンで食べることで
ものの味が変わるわけではない。

けれど、口に入れた時に
ちがう「何か」を感じる。

その薄さ、角度、木の感触。
工夫を重ねられた違いを
唇ではっきりと知ることができる。

スプーンが好きで、研究され尽くした果てに
たどり着いた愛着の美、なのかもしれない。

焦香(こがれこう)色も、何度も何度も染料につけて
たどり着いた色。

「焦がれる」想い。
一途に、強く、そうなりたい。
望みを実現したいと心から願う想い。
その想いの結集した一つのスプーンが、
焦香色であるというのも
偶然ではないような気もする。

自分の好きなもの、愛するものを
とことん追求する。
そこに至るまで、妥協せずに
磨き続ける。
そうしなければ、掘り当てられない
「特別な何か」は必ずある。

それは、飽き性で、面倒くさがりの
私の憧れであり、目指す境地でもある。
人生の後半戦、どこまでそれを
追求していけるだろうか。

先のことはわからない。
ただ、好きという気持ちを
喜びにし、励みにしながら、
没頭していくと、
「特別な何か」に
たどり着くことができると信じる。

迷った時は、この焦香色のスプーンで
美味しいものを食べてみよう。
「焦がれる」想いの秘密が
香るように、その秘密を
そっと教えてくれるかもしれない。

景色を染める、想いの色

人と人とのつながりや、
めぐりあわせなどのことを言う「縁」。

目に見えない縁の名を持つ
縁色(ゆかりのいろ)は、
紫色の別称だ。

由来は「古今和歌集」の歌
「むらさきの一本(ひともと)ゆえに武蔵野の
 草はみながら あはれとぞみる」
からきている。
歌の意味は
「紫草がたった一本生えている縁(ゆかり)だけで、
 武蔵野の草がみな愛おしく思える」
という。

想いが、目にする景色を愛しいものにした、
それが縁色(ゆかりのいろ)だ。

数ヶ月に一度、電話するのが楽しみな友人がいる。
その中でも、中学時代からの友人のSちゃんは、
当時から少し大人びた紫色のイメージがある。

いつも一緒にいるわけではないけれど、
昔から、何かあると、さっと手を差し伸べてくれる。
間違っているときは、辛辣な意見もくれる。
遠すぎず、近すぎず、
心地よい距離で見ていてくれる
信頼できる友達だ。

特別な話がなくても、
電話することもある。
ただ「わかってくれている」信頼で
余計な気遣いもなく、
中学生に戻ったり、母になったり、
一人の女性になったり、と、
気持ちを解放して話せる大切な存在だ。

なかなか会えないけれど、
電話のつながりが縁の糸だった。

苦しみや悩みを打ち明けなくても、
後から気づくと、あの時救われていたんだなぁ
と思うことがある。

父も電話が好きな人だった。
母が習い事で夜によく留守にしていたこともあり、
晩酌しながら、あちこちに電話していたようだ。

二人で留守番した夜、
酔って饒舌になった父が、
遠い街に住む、同級生の女性に
時々電話していることを話してくれた。

その昔、父の憧れの人だったのだろうか。
知的で、受け応えが優しくて、
毎回、話すのがとても楽しいのだ、と。

ところが、ある日の電話で、
いつものような明るさがなく、
言葉も固く、重苦しい雰囲気になった。
「電話したら迷惑ですか?」
と尋ねると
「そうね。そろそろ声が聞きたいな、という頃に
 電話くれると嬉しいな」
と、言われたのだそうだ。

その言葉を思い出して口にする父の表情は、
悲しくも幸せそうに見えた。

素敵な言葉だなぁ、と感心した。
適当にごまかさず、冷たく断るのでもなく、
やわらかな、優しい言葉で、
友情を大切にしつつ、大人の女性として
一線を引く。

たった一本の紫草が景色を変える。
たった一本の電話が縁を結ぶ、
人の心の世界を美しく染めてゆく。

父の憧れたひとに、会ったこともなく、
写真も見たことがない。
けれど、私の想像の中のそのひとは、
美しい紫色を姿勢よく着こなされていたような気がする。

今年、父の話を聞いた当時のその方と
同い年になる。
そんなふうに人の心を大切にする
言葉を発せる大人になっているかというと
心もとない。

ただ、縁ある人たちとの交流の中で
美しい結びつきを大切にし、
関わる人の心を優しく染められるような人に
なりたいと思っている。

まちがっていたら、Sちゃんは叱ってくれるだろうか。